映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
私のゆめー鹿児島を観光の町へ
1954年小学4年社会科
私のゆめー私は鹿児島を観光の町にしたい
(一)道路をきれいにする。
(1)アスファルトをしく(大きい道、店の多い道)
(2)日に50台位ずつ掃除機や水まき機械を出してきれいにする(道が汚れているから)
★理由 鹿児島は埃が多いから、土よりいいから、アスファルトをしく。
そうしたら、道を歩くのも気持が良いから、お客さんがたくさん来る。
(二)人々の休憩所や、遊び場所を作る。
(1)公園など、静かな山手にたくさん作って、商店街などは真中に、回りを公園が囲む。
(2)観光客が、昼ごはんを食べる腰掛などを、木陰や駅のそばに作る。
★理由 観光客は日帰りの人などとくに多いから、昼ごはんなんかを食べる所や、遊んで行く場所があったほうが良い。みなますます沢山来るようになる。
(三)乗り物を清潔にし、サービスを良くする)
(1)さくら島に、港から橋をかけ、観光バスや人が歩いて通るようにする。
(2)島の山登りなどは、案内の人がいて、わらじや、杖や、御菓子などをサービスする。また、ケーブルカーをかける。
★理由 船で30分も行けば、溶岩が見れるというような所は、鹿児島のほかにどこにもありません。だから、その櫻島にも、ただで行けるように、橋を架けたらよい。
(四)町の交通をもっと便利に
(1)朝日通り、いづろ、天文館のへんは交通が激しいから、地下道を作って、電車、バスの道、人間が歩く道、と分ける。
(2)暑い夏、寒い冬に、電車やバスで、5分も10分も待たされたのではたまらないから、電車やバスは2,3分で来るようにしたい。
★観光客、修学旅行の生徒たちなどはたいてい、バスや電車に乗ります。そのときのサービスにも、早く、のりやすい電車バスを通したい。
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「ゆめ」と言うにしては、現実的で大胆な飛躍がない。これは私に想像力が欠けているせいか。
●ただ気がつくのは、生活環境への関心で、それは今にいたるまで続いているのかも。※
●そこかしこに当時の町の様子や暮らしぶりが伺える。舗装道路が少なく、降灰で埃っぽい。また自家用車、レストランとかホテルに関する提案がないのは、生活がいかに質素だったかということだろうか。
●桜島は、この翌年、1955年秋に大爆発をしたが、この当時はまだ登れた。
●(四)は最初は歩道橋を考えていたが、担任の先生の忠告で地下道に変更した。だが、これは今も実現してない。そもそも火山灰地では無理なんだろう。
4年生の担任は、40代位の男の先生で、3億円事件のきつね眼の男のような細い眼をしていた。社会科が得意で、福岡県直方市の小学4年生と文通したり、川内の紙パルプ工場を見学に行ったりした。
※→「やらせ厳禁」2011-08-21
→「歩行者に光が」2010-04-03
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