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花の日

1953年 小学3年

     
          (一)朝

朝、目がさめると「ざあ、ざあ」と雨のふる音がしました。
私はふとんの上にパッと飛び起きて
「ああ、きょうは花の日だった。」
と、思い出しました。
外は、台風のように、風はビュービューふき、雨は、ゴーゴーうなる風とけんかをしているみたいでした。私は
「こんなにひどい台風で、いまきゅうり(今給黎)病院や、はったんまる(八反丸)病院などへ、行けるかしら。」
と、心配になってきました。
私が、ようふくを着てふとんをたたむと、風はあまりふかなくなりました。
そして、ごはんを食べるころは、風は、少しも吹かなくて、雨はやみました。花の日のお花は、私の家には2,3本しかないので、おばあさんのお家でもらって来ました。

           (二) 日曜学校

お花を持って日よう学校につくと、もう二十人くらい来ていました。
中に入ると、床の間の右の板のところにきれいにみがかれたバケツがおいてありました。その時、ちょうど湯殿からたくさん集ったお花を持ってきて入れるところでしたので、私はお花をバケツに入れました。
日よう学校の礼拝がすむと、かろうじ先生が大声で
「今日は、中学生は残って、集ったお花を2,3本くらいずつに、束にして下さい。かぜが強くなりそうですから、小さい人は、行かない方がいいかもしれません。病院にいきたい人は、お家に帰ってお母さんに行っていいか聞いて、よろしいと言われたら来てもよいでしょう。雨道具は、レインコートや、ナイロンのふろしきなどがいいでしょう。かさは、飛ばされるかも知れませんから。」
と、おっしゃいました。
お兄さんは行かないと言いました。ようじろうちゃんも病気で休みました。
それで私は家へ帰って、うすい灰色のレインコートを一着と、ナイロンの風呂敷を二枚そろえました。

           (三) 花くくり

日よう学校へつくと、まだ中学生は、花くくりをしていました。私も手つだってあげました。終わるころになって、花の数より、病人の人数の方が多いのに気がつきました。
「小さい花はいいけれど、なるべく二本にして下さい。足りなくなるようです。」 
かろうじ先生がこまったような顔をしておっしゃいました。
私は、もう一度おばあさんの家に行って花をもらって来ました。

            (四) 出発

みんなそろったので、出かけることになりました。その少し前におねえさんが、
「かさをさしておいで。」
といったので、私は、走ってかさをとりに帰りました。
さあ、いよいよ出発です。さっき、かさはささない方がいいとおっしゃったかろうじ先生も、
「やっぱりかさの方がいいよ。」とおっしゃいました。

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この文はここで終り、肝心の所が書いてない。
3年生の頃までの文章は無邪気で、我ながら好きだ。
タイトルを「お花の日」としたら、「お花の日というと生け花の日のように聞こえる」と母が言うので、「お」をとった。これがずっと気にかかっていたが、ネット検索↓して「花の日」とは「母の日」「父の日」のような記念日の一つであると納得した。
「かろうじ先生」とは、全学連の唐牛健太郎と同姓だが、鹿児島大学の学生で、声が良くて賛美歌が上手く、子供たちに人気があった。

「クリスマスの劇」17-12-24

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「花の日」とは、1856年、米国マサチューセッツ州の牧師、チャールス・H・レオナルド師が少年少女を信仰に導くための教育を強調する日として、6月の第2日曜日に特別礼拝を行ったのが起源とされている。レオナルド牧師が、神の恵みに感謝をすることを教えるため、教会に美しい花を飾ったことから「花の日」といわれるようになった。また、花を地域の人に配るのは神への感謝の喜びを分かち合うためだ。



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