映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
「母の欲望」
この文の作者YKさんは3年前まで大阪の文章教室で一緒だった女性だ。去年の夏頃からメールで、懐かしい教室の空気と共に文章を送ってくださっている。今回は、内容が衝撃的で、興味深いので、本人の許可を得て掲載することにした。
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「母の欲望」
一年後に、老人医療のご厄介になる年齢になった私は、母のように、娘を持つ親御さんが羨ましい。不可能な欲望だけに、ため息をつくばかりだ。
母は亡くなる九十三歳まで、兄夫婦と同居していた。母は七十五歳前までは、愚痴一つこぼさなかった。気短かな兄は、些細なことに、思い通りにいかないと、めちゃめちゃ怒り声を張り上げ、聴いてもらいたい一心で、私たち娘三人のところへ電話をするが、間違っても、二人の息子にはしなかったようだ。
ある時、母は、兄から電話料が高額になって、注意を受けたという。私たちはテレホンカードを送って上げた。そしたら、長電話になると、世間体が悪いと言い出した。私たちは、兄夫婦がいないのを確かめて、母の愚痴を聞いてあげていたものだった。
母の一方的な話にしろ、話を聞いてあげると、満足するのか、電話を切る頃になると、声の弾みは元気そのものだ。どうみても軍配は兄にあるようだが、私は「おばあちゃんはいいわ。私や、宇佐田は(姉)女の子がいないわ」、「そうだったなあ」、こんな時は、はっと我に返っていたかしら。こんな時ばかりではない。どうみても、母のわがままのようで、私は腹が立ち、黙って聞いていたがたまらず、電話を切ったことが、一、二度あったが、母が亡くなってから、かわいそうなことをしたものだと後悔した。母はうっぷんを晴らすのに、娘を三人持って、欲望が満たされ、旅立ったことだろう。
課題―「欲」
提出日―平成二十二年十一月三日
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文意を正しく読み取ったか、或いは偏っているかも知れないが、私の感想は。
まずタイトルが「母の欲望」である。普通結びつかない二つの言葉、「母」と「欲望」。最初想像したのは、子どもの家庭教師とか夫の弟と道ならぬ関係に、などという昼ドラの光景だった。ところが、YKさんは根っからの貞淑な方で、そういうことは初めから念頭にない。彼女は、亡くなった母親の生き方が、男の子に対してはあくまで弱く、その分、女の子に対しては強く、全てのしわ寄せが娘に来ることを見抜く。自省とか理性的思考とは遠い、感情のまま、本能のままに喋り振舞う、昔ながらの女性である母親を見ていて、この母の自分に向う心情は愛でもなく情でもなく、欲望、支配欲、エゴイズムであることを直感的に悟る。鋭い洞察だと思う。しかし、冒頭で彼女が、(彼女には男の子が2人いる)娘がほしいと思うのは、心情的に娘に覆いかぶさった母のような生き方を認めているのだろうか?その辺が疑問である。
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「母の欲望」
一年後に、老人医療のご厄介になる年齢になった私は、母のように、娘を持つ親御さんが羨ましい。不可能な欲望だけに、ため息をつくばかりだ。
母は亡くなる九十三歳まで、兄夫婦と同居していた。母は七十五歳前までは、愚痴一つこぼさなかった。気短かな兄は、些細なことに、思い通りにいかないと、めちゃめちゃ怒り声を張り上げ、聴いてもらいたい一心で、私たち娘三人のところへ電話をするが、間違っても、二人の息子にはしなかったようだ。
ある時、母は、兄から電話料が高額になって、注意を受けたという。私たちはテレホンカードを送って上げた。そしたら、長電話になると、世間体が悪いと言い出した。私たちは、兄夫婦がいないのを確かめて、母の愚痴を聞いてあげていたものだった。
母の一方的な話にしろ、話を聞いてあげると、満足するのか、電話を切る頃になると、声の弾みは元気そのものだ。どうみても軍配は兄にあるようだが、私は「おばあちゃんはいいわ。私や、宇佐田は(姉)女の子がいないわ」、「そうだったなあ」、こんな時は、はっと我に返っていたかしら。こんな時ばかりではない。どうみても、母のわがままのようで、私は腹が立ち、黙って聞いていたがたまらず、電話を切ったことが、一、二度あったが、母が亡くなってから、かわいそうなことをしたものだと後悔した。母はうっぷんを晴らすのに、娘を三人持って、欲望が満たされ、旅立ったことだろう。
課題―「欲」
提出日―平成二十二年十一月三日
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文意を正しく読み取ったか、或いは偏っているかも知れないが、私の感想は。
まずタイトルが「母の欲望」である。普通結びつかない二つの言葉、「母」と「欲望」。最初想像したのは、子どもの家庭教師とか夫の弟と道ならぬ関係に、などという昼ドラの光景だった。ところが、YKさんは根っからの貞淑な方で、そういうことは初めから念頭にない。彼女は、亡くなった母親の生き方が、男の子に対してはあくまで弱く、その分、女の子に対しては強く、全てのしわ寄せが娘に来ることを見抜く。自省とか理性的思考とは遠い、感情のまま、本能のままに喋り振舞う、昔ながらの女性である母親を見ていて、この母の自分に向う心情は愛でもなく情でもなく、欲望、支配欲、エゴイズムであることを直感的に悟る。鋭い洞察だと思う。しかし、冒頭で彼女が、(彼女には男の子が2人いる)娘がほしいと思うのは、心情的に娘に覆いかぶさった母のような生き方を認めているのだろうか?その辺が疑問である。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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息子さん2人で、娘さんなし。娘さんと話し相手が欲しいと望んでいるようです。女同士の気安さから、母親は女の子が欲しいものです。