映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
映画「安城家の舞踏会」
1947 松竹 89分 DVDで鑑賞 原作・監督 吉村公三郎 脚本 新藤兼人 音楽 木下忠司 編集 杉原よ志
出演 原節子 滝沢修 森雅之 津島恵子 殿山泰司 岡村文子 逢初夢子 高友子 清水将夫 神田陸
【ものがたり】
第二次大戦後、栄華を誇った華族の名門、安城家も、滅亡に瀕している。その前夜に、彼等は舞踏会を開こうとした。
1947年は憲法により華族制度が廃止され、農地改革と財産令で大地主が打撃を蒙った年。その内情をえがく映画は大衆の興味を引き、新しい時代に沿おうとするヒロインはGHQを喜ばせただろう。天皇の安泰を喜んだ民衆も、華族の没落を見て、同情の一方で溜飲を下げたかもしれない。とにかく、占領下に作られた映画は何となく不自然だ。
評価が真2つに分れる。ほめる人は映像の良さを上げるが私はその方面に疎いので、彼等に組みしない。
評価しない理由
第1はこれが舞台劇、それも翻訳劇、中でもチェーホフの「桜の園」そっくりに見えること。
第2は出演者の大半が貴族に見えないこと。私自身、華族がどんなものか知っているわけではないが。
第3は、舞台装置が(日本の洋館)何となく寒々としていること。
2と3は、かの鹿鳴館に対する気持に通じる。つまり、猿まねで痛々しいのである。
成上り者とか下僕とか詐欺師を演じるに向いている人は多いが、生まれつきの高貴さが似合う人はなかなかいない。
日本人自体が明治以来、西欧に対して成上り者でしかなかったのでは。岩倉具視の使節団は烏帽子を冠っていても尊敬されたと思うが……。
その中で自然だったのは伯爵の姉、姉小路正子。和装だったのも一因だろうが、それを演じた岡村文子の経歴を見ると、若い頃さる伯爵家で行儀見習いしたとあって納得。原節子は持前の気高さと逞しさがこの映画にはぴったりだ。
森雅之や滝沢修が社交ダンスを踊る。森は正面から映っているが、タンゴなだけにいやにしゃっちょこばっており一寸滑稽。滝沢と原の踊るシーンは足しか映らない。滝沢は実は踊れず、代役だそうだ。女性の方は当時はこれが普通だったのだろうが脚が太く靴が大きくて美しいと感じなかった。
編集の杉原よ志は「花咲く港」(1943)から「父」(1988)まで木下恵介作品には必ず出て来る人。珍しく女の名前、しかも母と同じ名なので気になっていたのだが、今回ネットで調べたら女性との言及がなく、どうも男性のよう。職業婦人の走りじゃないのかぁ。幻滅。
この映画、太宰治の「斜陽」に似ていると思ったが、「斜陽」は1947年7月~10月の「新潮」に連載され、映画は同年9月27日公開。どちらが先だったのだろうか。若い女性が逞しく、男性は自棄的であることや、妙なことば遣いは両者に共通だが……。
以前に見たのは
1979年10月17日 池袋文芸地下にて「青幻記」と2本立、350円!
タンゴ
→「女囚52号の告白」12-7-7
吉村公三郎
→「女経」14-4-2
→「地上」6-10-20
原節子
→「ふんどし医者」12-5-28
→「白雪先生と子供たち」6-10-12
滝沢修
→「野火」14-4-2
→「忠臣蔵が見たかった頃」11-12-14
森雅之
→「浮雲」 15-10-19
→「善魔」 14-3-10
→「人間魚雷出撃す」14-2-3
→「愛染かつら」 10-5-29
→「蟹工船」 9-7-17
新藤兼人
→「陸に上がった軍艦」7-9-18
占領下の映画
→「わが恋せし乙女」 14-3-3
→「善魔」 14-3-10
→「カルメン故郷に帰る」11-3-27
→「また逢う日まで」 10-8-8
→「スキャンダル(醜聞)」 9-12-3
→「帰郷」 7-10-28
→「長崎の鐘」 6-10-29
→「白雪先生と子供たち」6-10-12
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