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「父の肖像Ⅱ」

2004年 かまくら春秋社刊 野々上慶一編 2100円

この本は県立美術館の図書室で2月にたまたま見つけ、それから何度か読んだ。32人の作家芸術家の子ども達が父を語っている。月刊誌「かまくら春秋」への連載を単行本化したものだという。これらの親子の間に尊敬や愛情があったゆえだろう。また才能の遺伝もあるだろう、それぞれは短いが、非常に中身の濃い文章である。出来れば買っておきたいくらいだ。第二巻なのでもう一巻あるはずだ。

新田次郎については藤原咲子が、不器用で編み物に苦労した時、父が中学の家庭科の先生にあてて書いた注文の手紙を紹介しているが、病床にあった母・藤原ていの短い手紙も添えられており、娘に抱く愛情の温度差がしのばれる。(父にややモンスター・ペアレンツの傾向がありそうだ)
西條八十は、彼の死後、作詞者が彼だとも知らずに沢山の歌謡曲が歌われていることについて、生前は評価を下げていたその方面の活動があってこその父だと言っているが、ずばり本質に迫っていると思うし、息子が言うと重みが増す。
今までのところ、大仏次郎、岡本太郎、中上健次、坪田譲治、石川達三、川端康成を読んだが、別の機会に読めば別の名前が興味を引くだろう。

「子を知ること親に如かず」とよく言うがこの本を読むと、むしろ「親を知ること子に如かず」ではないかと思ってしまう。なぜなら、親の子を見る目は愛憎やなにやらで曇っている(子はもともと親のエゴの表現だから)が、子どもの親を見る目はもっと澄んでいる。親は生殺与奪の権を握っており、その気紛れで、子の生死が分れる。また親は遺伝と環境により、子の心身をも形作っているから、自分が何者かを理解するのにも子はしばしば人生の初めに立ち返り、親を見直す必要があるからだ。

→西條八十「女妖記」2011-4-2
→「お菓子放浪記」2012-3-12
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