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【映画】山椒大夫

1954年 2h04 鑑賞@松江テルサ
監督 溝口健二 原作 森鴎外
出演 香川京子 花柳喜章 田中絹代 津川雅彦
ヴェネチア映画祭銀獅子賞

「越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。」で始まる鴎外の原作を10代で読んだことがある。幼い時に絵本の「安寿と厨子王」に心ひかれたからだが、映画と原作の違いがどうしても気になった。

(物語)筑紫に流された父を訪ねて旅する母と2人の子が、人買いにさらわれて一家離散する。子らは丹後の山椒大夫の奴隷にされるが、逃げて京に行き出世して佐渡の母を探す。

初めに「日本」「社会」「人間」「制度」などの字が画面に踊る。
過去の悪い制度を変えて生まれ変わるんだという当時の意識を国内外に宣言するようだ。しかし、いま見るとあらずもがなの文面である。

その他、原作と映画の違いは・・・・・・。

①香川京子(安寿)が花柳嘉章(厨子王)より若いので、もともと姉弟の話なのに兄妹にしたそうだ。
②逃亡する際、一緒では足手まといになるからと弟を1人で発たせたのに、わざわざ病人を担いで行かせたのはなぜ。
③映画では10年たってから逃亡するとなっているが、鴎外の原作では次の年。これも俳優の年齢との関係か?
④映画では丹後の国守になった厨子王が、奴隷を解放してから職を辞して、佐渡島に渡るとなっているが、原作では現職のまま病気休暇をとって行くのだ。

余談だが、母(田中絹代。原作では30代、映画では45歳だが老いさらばえている)と再会し、「お母様と厨子王の2人きりになってしまいました」と言う映画のセリフが、世の男性の本音に重なった。たとい老いても外見の美が失われても、いや、そうであればあるほど、母というものは愛しい存在になるのか、そして余人を交えず2人きりになり母を独占したいと言う願望があるのだろうか。「私は違う」と言う男性もいるだろうが。鴎外のマザコンぶりは有名だが、溝口の「母恋い」の思いがこのセリフに結晶したのだろう。

また津川雅彦(当時14歳)はどこに出演したのか、不覚にも見落とした。

⑤「安寿恋しや、ほーやれほ」の歌。この歌詞が「安寿恋いしや、せつなやのう」になったのも言語道断。
⑥その上これが佐渡で流行って本土に伝わるというのは、当時の交通事情から可能だろうか。
⑦原作では、厨子王が干した粟の番をしながら雀を追い払っている盲目の老女の歌を聞く。「女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。」あの感動的な鴎外の文章はどうするの?

しかし、映画はその時代の風潮、観衆の嗜好を反映するもの。「羅生門」が受賞したあと、大映は二匹目のドジョウを狙って国際映画祭に向けていくつも制作した。そこで外国人に受入れられるように、冒頭の字幕もつけたのだろう。脚色するのに色々な意見を取り入れ、ここかしこで整合性がなくなったのかも知れない。ただ、済んだばかりの戦争によって国民が奴隷状態に置かれたことを溝口がいかに憎んだかということだけは、間違いなく伝わって来る。

→演劇「さんしょう太夫」 12-12-16



 

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人が人としての目覚めること (bakeneko)
2019-07-25 23:38:31
これは、人が人としての目覚めを持たない、平安朝末期を背景に生まれた物語である
それから数百年、庶民の間に語り伝えられ、今日もなお 人の世の、嘆きの限りをこめた説話として知られている
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映画は、この字幕ではじまります.

厨子王は山椒大夫を捕らえ丹後の国から追放し、そして自ら職を辞しました.
厨子王の後に悪い守護(権力者)がやってきたら、また元に戻るだけ.
これでは、絶対に良い世の中にはなりません.

この話は、人が人としての目覚めを持たない時代の話であり、つまり、人が人としての目覚めを持たなければ、世の中は良くならないと言っている.
もっと分かりやすく言えば、正しい人が権力を握ったら世の中が良くなるかというと、絶対にそんなことはあり得ない.権力に頼るのではなく国民の一人一人が、良い世の中をつくる努力をしなければ、世の中は良くならない.

権力とは、どの様なものなのか?
厨子王の父親は、自分の正しい道を、農民を救う政策を行おうとしたら、権力を剥奪され追放された.彼は自分の権力が剥奪されるのを承知の上で、農民を救おうとしたのだが.....
山椒大夫は奴隷を使って金を稼ぎ、その金を朝廷、すなわち、より強い権力を持った者に貢いで(賄賂)、自分の権力の座を守ろうとした.
権力とは、正しい者が正しいことを行おうとすると、剥奪される.
権力とは、悪人が悪事を行う為に、必要とするものであり、悪人は権力によって利益を得、そして身を守る.

権力が親から子へと受け継がれる世襲制度が無くなること、身分の差が無く皆が等しく平等の世の中になることが、人々を(奴隷)支配する権力が無くなる世の中への第一歩である.

『私が職を辞することは、私と同じ苦労をしてきた人々の願いである』、厨子王はこう言い残して去っていった.
厨子王の権力は、関白という権力者から与えられたものであり、かつ、親から受け継いだものであった.そんな権力が存在するから奴隷支配が産まれるのである.
奴隷の苦難の生活をしていた人々は、自分達を支配する権力が無くなることを願った.その願い通りに、厨子王は自ら職を辞したのである.
 
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