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「裁判」

著者 伊藤整 発行所 晶文社 発行年 1997年(初出1952年)

「チャタレー裁判」の被告・伊藤整氏が1951年5月から1952年1月の36回の法廷の様子を、できるだけ忠実に描き出したもの。上下二巻。

これがとてつもなく面白く、子息・礼は、父の最高傑作と言う。

噂には聞いていたが、検事の起訴状の程度の低さには愛想が尽きた。かれらは高校生なみの読解力もなく、翻訳文学になじんでないせいか、とんでもない誤読(または曲解)に基づいて告発し、権力だけは強いのである日一斉に全国の小売店から「チャタレー」本を押収し、店主を拘留したりもした。(特高警察のよう)伊藤氏も逮捕されるところを「在宅」扱いとなり、危うく免れた。

敗戦間もない東京地裁の粗末な建物の中で、正木ひろし、吉田健一、福田恒存、波多野完治、神近市子など、当代最高の知識人たちが、全力で戦った裁判の攻防256日。戦後ノンフィクションの伝説的な傑作をここに復刊。(扉より)

裁判所も後世から裁かれる。こんにち、誰が「チャタレー夫人」をわいせつ文書と見なすだろう。

中でも神近市子は私は「日陰の茶屋事件」でしか知らなかったが、鋭い舌鋒と切り込む気迫に胸がおどる思いがした。

弁護人正木ひろし氏は、期待にたがわず、百人力の頼もしさだった。伊藤整も、彼の教育の結果?だんだんと闘士らしくなっていく。

国会図書館長・金森徳次郎氏や大阪交野女子少年院長東まさ氏など検事側の証人の中にも、人間として信頼に値するひとを伊藤は発見していた。

「明治以来の日本で、産業と戦争に役立つもののみが認められて、人文科学的、思想芸術的なものが無視されたため、真の近代社会にならなかった」という著者のコメントは今日にも通じる。

敗戦によってようやく手に入れた憲法、と言う表現が度々登場する。新憲法はこれ程の希望をもたらしてくれたが、絶えず戦わねば、安閑としていては権利は奪われるのだということを、まざまざと見せてくれた事件。

この作品によって、伊藤整の詩人の面もうかがえる。何より、当時の知識人や学生(証人には高3の女生徒もいた)の知的水準の高さに感動した。

→「若い詩人の肖像」22-1-24

→「真昼の暗黒」7-2-12

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