映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
津山
2016年08月08日 / 旅
鹿児島の帰り、津山で一泊した。
これはアルミ缶を再利用した風鈴?
出雲街道という、昔ながらの風情の残る道を歩いた。
駄菓子屋さん
午後2時過ぎ、熱い太陽が照り付ける中、看板への好奇心から店をのぞいていたら、彼女に招き入れられて、椅子をすすめられ、その奮闘努力の半生と驚きの武勇伝の数々を聞かせてもらった。その間もお客が来る。私服の中学1年女子2人組とか小学1年男子が母親とやってくる。自転車の止め方から、消費税込みの料金表の見方など、きびきびと教えている。背筋がしゃんと伸び、手八丁口八丁の女性であった。88歳だが69年間休まずに営業しているとか。津山は戦災には合わなかったが、水害はあり、お城に逃げた。子供をおぶって自転車で配達に行った(卸もしているので)ついには中庭の鉢植(ジエビネなど)を見せていただいた。1時間足らずの間だったが、津山女性の素晴らしい能力(プレゼン力も含めて)と、侮りがたい地道な強さを知らされた。
津山洋学資料館と箕作阮圃(みづくりげんぽ)の旧宅
ゴンチャロフ「日本渡航記」にも登場する(17-3-6追記)
薬草園には私たちに日ごろなじみ深い名前もある。
岡山県立津山高校。びっくりの威容。もと岡山県津山中学校、明治33年建築の重要文化財。
運転手さん「お客さんあそこの卒業生ですか?そうじゃなくてお友達が?」頭がよい人しか行かれないという評判の学校だった、のはその昔で、今はご多聞にもれず、少子化で偏差値が下っているらしい。
卒業以来50年近く会っていない、あの女友達の性格はこういう風土で作られたのだなあと、1泊の旅だが納得いくものがあった。一見閉鎖的な盆地にありながら、明治以前から目を海外に開いていた土地らしく、文化の香りがそこはかとなく漂う。
大型店で趣味のサークルの絵画展が開かれていたが一見して水準の高さに驚いた。特に画面にあふれる強烈な光は、出雲街道の終点に住む私には印象的だった。
これはアルミ缶を再利用した風鈴?
出雲街道という、昔ながらの風情の残る道を歩いた。
駄菓子屋さん
午後2時過ぎ、熱い太陽が照り付ける中、看板への好奇心から店をのぞいていたら、彼女に招き入れられて、椅子をすすめられ、その奮闘努力の半生と驚きの武勇伝の数々を聞かせてもらった。その間もお客が来る。私服の中学1年女子2人組とか小学1年男子が母親とやってくる。自転車の止め方から、消費税込みの料金表の見方など、きびきびと教えている。背筋がしゃんと伸び、手八丁口八丁の女性であった。88歳だが69年間休まずに営業しているとか。津山は戦災には合わなかったが、水害はあり、お城に逃げた。子供をおぶって自転車で配達に行った(卸もしているので)ついには中庭の鉢植(ジエビネなど)を見せていただいた。1時間足らずの間だったが、津山女性の素晴らしい能力(プレゼン力も含めて)と、侮りがたい地道な強さを知らされた。
津山洋学資料館と箕作阮圃(みづくりげんぽ)の旧宅
ゴンチャロフ「日本渡航記」にも登場する(17-3-6追記)
薬草園には私たちに日ごろなじみ深い名前もある。
岡山県立津山高校。びっくりの威容。もと岡山県津山中学校、明治33年建築の重要文化財。
運転手さん「お客さんあそこの卒業生ですか?そうじゃなくてお友達が?」頭がよい人しか行かれないという評判の学校だった、のはその昔で、今はご多聞にもれず、少子化で偏差値が下っているらしい。
卒業以来50年近く会っていない、あの女友達の性格はこういう風土で作られたのだなあと、1泊の旅だが納得いくものがあった。一見閉鎖的な盆地にありながら、明治以前から目を海外に開いていた土地らしく、文化の香りがそこはかとなく漂う。
大型店で趣味のサークルの絵画展が開かれていたが一見して水準の高さに驚いた。特に画面にあふれる強烈な光は、出雲街道の終点に住む私には印象的だった。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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3年来の相続が長引き、鹿児島に行く用が出てきたので、これ幸いと、帰りに寄り道して来ました。鞄を持って駅の階段を上り下りするときは往生しましたが、通りがかった高校生が助けてくれたり。これも何とかかんとか健康でいられるからで、お天道様のおかげ、ありがたいことです。