映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
鳥取
2016年08月10日 / 旅
駅南口の「大国主命と因幡の白兎」ウサギが3匹、鳥もいて、和やかな雰囲気だ。
鳥取砂丘。バスで駅前から20分で行ける。植田調を狙ってみたが人物が小さすぎた。
「アラビアのロレンス」のように「忽然と地平に出現」と言いたかったが、後向き。
砂の美術館。全天候型美術館として2006年開館、第9回は「砂の世界旅行・南米篇」がテーマ。
知事の負惜しみから生まれた「すなば珈琲」鳥取駅前店は2014年4月22日開店だが、話題を呼んでいまも繁盛し、外にまで行列ができていた。メニューに食物を加え、営業努力もすごい。次々とチェーン店もでき、東京にも臨時に出店したとか、いずれスタバの本場シアトルに進出すると、知事は豪語していた。わたしは行列を見るとすぐあきらめる習性なので、入るのはやめた。
進出を最後までためらったことで「すなば珈琲」の生まれるきっかけともなったスターバックスコーヒーシャミネ鳥取店は2015年5月23日開店。
旅立ちの朝の食事はここでとった。(メキシカンアボガドと紅茶で750円)
ジャズが流れ、住所はシャミネ(駅ビル)だが、ゆとりある敷地で外壁(アラビカコーヒーの花・実・葉)の模様もしゃれた感じ。
鳥取駅北口。県の名産、二十世紀梨の木。向こうにはユーカリの大木が見える。
駅周辺は旅人や歩行者にやさしい木陰がある。
島根・鳥取は山陰と一括されるが、端から端まで350㎞もある。特に鳥取市と松江市は遠く、松江に住む私がようやく訪問できたのも、鹿児島を経てというのがおかしい。
鳥取市は人間本位の暮しやすいところだと感じた。
⇒「スタバ風景」10-5-23
⇒「すなば珈琲」14-4-24
鳥取砂丘。バスで駅前から20分で行ける。植田調を狙ってみたが人物が小さすぎた。
「アラビアのロレンス」のように「忽然と地平に出現」と言いたかったが、後向き。
砂の美術館。全天候型美術館として2006年開館、第9回は「砂の世界旅行・南米篇」がテーマ。
知事の負惜しみから生まれた「すなば珈琲」鳥取駅前店は2014年4月22日開店だが、話題を呼んでいまも繁盛し、外にまで行列ができていた。メニューに食物を加え、営業努力もすごい。次々とチェーン店もでき、東京にも臨時に出店したとか、いずれスタバの本場シアトルに進出すると、知事は豪語していた。わたしは行列を見るとすぐあきらめる習性なので、入るのはやめた。
進出を最後までためらったことで「すなば珈琲」の生まれるきっかけともなったスターバックスコーヒーシャミネ鳥取店は2015年5月23日開店。
旅立ちの朝の食事はここでとった。(メキシカンアボガドと紅茶で750円)
ジャズが流れ、住所はシャミネ(駅ビル)だが、ゆとりある敷地で外壁(アラビカコーヒーの花・実・葉)の模様もしゃれた感じ。
鳥取駅北口。県の名産、二十世紀梨の木。向こうにはユーカリの大木が見える。
駅周辺は旅人や歩行者にやさしい木陰がある。
島根・鳥取は山陰と一括されるが、端から端まで350㎞もある。特に鳥取市と松江市は遠く、松江に住む私がようやく訪問できたのも、鹿児島を経てというのがおかしい。
鳥取市は人間本位の暮しやすいところだと感じた。
⇒「スタバ風景」10-5-23
⇒「すなば珈琲」14-4-24
コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )
« 津山 | 入院 » |
若いころはずいぶんあちこち旅行されたのですね。でもまだまだ諦めるには早すぎます。体調維持に努めればきっとまた行ける日が来ますよ。
でもね、世界遺産とかオリエント急行とかナスカの地上絵とか、マチュピチュなど、過酷な気候のところはテレビで見る方が楽しいという気もしますね。
鹿児島に帰省されてから、あちこちご旅行されて戻られたのですね。
島根は私は若い頃に津和野に2回訪れたことがありますが(いずれも萩とセットで)
鳥取にはまだ一度も足を踏み入れたことがないのです。
いつか島根、鳥取とゆっくり旅してみたいです。
鳥取県知事さん、なかなかのやり手ですね。
すなば珈琲と、スターバックスの誘致?でも話題を集めましたが
先日は鳥取砂丘で是非ポケモンGOを、と宣伝していましたね。
ただの巨大な量の砂浜を、あそこまで観光資源として活用するのも逆転の発想の妙でしょうね。愉快な知事ですよね。山陰は年をとっても楽しめる土地ですので、いつかゆっくりといらしてください。その頃は、山陰新幹線もできて、もっと楽に来られるかもしれません。
母は鳥取の街中の人で、お茶は芸者さんと習っていたようで、その写真もありますが母が10代のころだから80年くらい前?わあっです。父は兵庫県の県境の山育ち。私が小学校1年から3年まで暮らしたことがあり、もうとても忘れられない良い思い出です。大阪弁の小さな女の子は村の子たちについていくのに必死でしたが、楽しかったなあ。はじめは慣れなくて、休憩時間は学校の図書室でひとりひっそりと本を読んでいました。本好きになった原点ですね。10年ほど前その学校が閉校になることを知らされて訪れたのが、鳥取行きの最後になりました。
若桜街道添いをバスで行くとき、小学校の桜の木に登った友達がさよならと手を振ってくれたという貴女の文は、同じく父親の故郷の田舎から都会に引き上げた経験のある私には懐かしく、文集のなかでも印象に残っています。その若桜街道には残念ながら短時日の中で行く暇がなかったし、上記の茶店や美術館は、10年前には、まだできて無かったかも知れませんね。それはともかく、鳥取はまるで松江とは違い、小さいはずなのに個性的な知事が続出しているだけに、自由闊達な空気を感じました。素敵な故郷?をお持ちだと思います。
個性的な知事のこと、ほんとうにそうですね。なんだかまた鳥取に行きたくなりました。
私は2年生で学芸会で「白雪姫」の継母を演じたことがあります。母のスカートを借りて、はまり役だと言われました。「そら豆の煮えるまで」は、創元社の世界少年少女文学全集、演劇編にあり、学級内で演じたような記憶も……。
こうしてみると私たち、やはり同時代ですねぇ。
あのころ、白雪姫がはやっていたのでしょうか。ディズニー映画のせいかも知れませんね。よく考えると、教育的な主題とも思えませんが。末の妹さんと言えば、私も末娘です。美貌自慢で弱い者いじめの継母とは、何の共通点も無いはずですが、性格女優的な面があるのかもと、よく解釈することにします。