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父母と私とシリア

32歳で私は結婚と海外渡航と協力隊参加という一つでも大変な3つの初体験をした。長年悩みの種だった3女の身の振り方がひとまず決まり、皆「よかったよかった」と異口同音に言うのであった。普通、こんな時はひとり位反対者が出るものだが・・・。

その時の両親の態度は、内心はどうであれ、晴れ晴れと落着いたものだった。
当時の父母の本当の気持は、アララギに投稿した短歌からうかがい知ることができる。

★★コレラ流行伝はればシリヤに易々と娘遣りしをしきりに悔む(1977年 母)

 着いて半年もしないうちのニュースで、余計ショックを受けたのだろう。しかしもともと協力隊には風土病がつきもの。シリアではマラリヤで入院した隊員もおり、Kもインドから肝炎を貰ってきている。他の大小無数の困難に比べ、コレラが特に大変ということはない。ただ果物・野菜が生でとれず、街角で搾りたてのジュースが飲めなくなったのは残念だが。日ごろ何が起きようと落ち着いていた母のこの慌て方は、やはり、母親と子供との肉体的な結びつきは強いということか。子供が伝染病地域に住むだけで今にも死ぬのではと感じ、自分の身を削られるような恐怖を覚えたのだろう。(これは子供への愛というより、肉体に根差したエゴイズムではないか、と子供を持たぬ私は想像する。)

そして帰国後はこうなる

★シリアより娘が持ち帰りし人形見ればかしこも男尊女卑の国なり(1980年 母)

この短歌は浅薄で、出来が良くないと感じる。母は幼いころ、父親の英国土産に人形をもらったのが原体験になったのか、旅先からの人形をほしがる習性があった。彼女の部屋のガラス棚にはそういう人形が沢山入っていた。帰国直前の私にも人形を欲しいと言って来たのだ。普通の国ならその辺に売っているから言われなくても買ってくるが、シリアはイスラエルと戦争中であり、また偶像崇拝を排斥するイスラムの国である。軍事費に押されてぎりぎり必要な品はあるが、そんな異教徒好みのぜいたく品などは見たこともない。一応手紙でそう説明はしたが、もしかして、と最後まで探しまわったが居住地は勿論、アレッポにもダマスでもどこにも売っていない。最後に首都の高級ホテルの土産物屋で隣国のレバノン製のをようやく発見したのである。男と女の人形で、女は薪や水がめを、男は笛や数珠を持っている。母のこの子供っぽい願いを満たすためにどれだけ苦労したことか。他の人達にはアレッポの石鹸をお土産にしたが皆に喜ばれたし、先日会った叔父は人形は今も持っていると懐かし気に語ってくれた。ところが雪の中でタケノコを探すような苦労をして買った土産を、こう簡単に一言で片づける母。彼女はどういう人物だったのか。

母は大正自由主義教育の洗礼を受けたフェミニストなのである。
女学校の時、男の担任に「母親であっても遠慮せず、真先に一番大きいのを取れ」と教えられたといつも言っていた。しかもそれを実践していたので我々はいい迷惑だったが。
奈良女子高等師範学校の同級生にエスペラント運動から中国で反戦運動をした長谷川テルがいる。私が読んで感動した女性※の自伝を母も若いころ読んでいたと知って驚いたこともある。このように知的・思想的には私と母は共通するものがある。ただ、心情的には相容れないのは似た者同士の反発かも知れない。
※この女性とは金子文子だった(15日追記)


★★★ユーフラテス斯く青く豊かに流るるか吾娘その岸に立つ寫眞を見る(1978年 父)

母の短歌にくらべ、父のこの短歌には心和むものを感じる。父は私の結婚に内心反対であったらしい。だから両家のささやかな会食のとき、「なかなか変わった非常識な娘ですので、Kさんから常識を教えてやって下さい」と正直?なちょっと嫌味な挨拶をしていた。しかし、コレラ流行の翌年にラッカで二人が川のほとりに佇む写真を送ると、このような短歌を作ったのである。そもそも父は船医になって世界を回りたいと若いころ思っていた(体が弱いので無理だと思うが)。そして70歳を超えてから初めて海外に出てテムズ川も見て、ゲーテ館にも行った。そのすぐ後で娘が古代文明の発祥の地に立ったのは純粋な喜びであり、誇りにも感じたであろう。「吾娘」という語にはその思いがこもっている。私はこの歌に、結婚を承認し、祝福する父の気持を感じた。一方のKは自分が無視されていることにちょっとむっとしていた。しかし、男親が娘と並べて婿のことを読み込むことは考えられない。第一「吾娘とその夫」などとしたら短歌になりはしない。その辺は、このごろ「俳句の才能査定ランキング」=プレバト(TV番組)を見ている彼は、わかると思うが……。

→「正露丸」8-12-22
→「マリの正月」13-12-8
→「母と娘」15-9-2
→「似た者親子」8-8-11
コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (luna)
2017-08-15 03:37:09
この時期より少し前に初めてお会いしましたね。恐ろしいことに息子もとうにあの頃の私の年齢を超えました。
あの石鹸、私もいただきましたよ。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2017-08-15 12:03:11
lunaさんこんにちわ。
石鹸をおぼえてくれてありがとう。
貴女から来た結婚祝いの手紙に「オールド・ミスにならなくてよかったね」とありましたっけ。さかのぼると初対面で私が30歳近いと知って、中1のあなたはショックで口がきけなくなっていましたね。当時は25歳までに結婚できないとクリスマスケーキと同じ売れ残りという時代でした。

子供の成長のを恐ろしいと感じるものですかねえ。お盆で、フォーゲルパークは夜もにぎわっているようですね。
 
 
 
Unknown (luna)
2017-08-15 20:47:46
どひゃー。私、そんな失礼なことを書きましたか。都合の良いことにすっかり忘れています。でも、いかにも私が書きそうな言葉だなぁ。
そして、そんなにショックを受けているように見えました?「この年代の大人の女性でも語学学校に通ってまだ勉強している人がいるのか?」という驚きはあったかも。
逆に私の初対面の頃の印象は「不思議な女性だな」というものでした。何かの用事でBiancaさんを自宅にお呼びしてから私が少々遅れて自宅へ戻ると、Biancaさんはあの四畳半の部屋で私の本棚から「プーさん横丁にたった家」を取り出して読んでいました。
大人の女性でもこういう本を読むのか、とびっくりしました。ご存知だったかもしれませんが、私の周囲には親戚がたくさんいましたがそういう人は(母も含め)誰もいなかったからです。

「恐ろしいことに」というのは単なる定冠詞みたいなもので、実際に恐ろしいとは思っていません。子育てを通して実にたくさんの経験をさせてもらいました。
ショックと言えば駒込時代にBiancaさんが我が家へ遊びに来てくださった時におっしゃってた「人生なんて一生勉強よ」という言葉の方が覚えていますね。今になって多少は理解できたような気がします。
息子はお陰様で充実しているみたいです。先月、二ヶ月しか付き合ってない彼女と別れたようで(本人には言いませんでしたがその彼女と息子は合わないだろうな、とは感じてました)今度の土曜日に松江市の街コンに参加するそうです。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2017-08-15 22:42:23
lunaさんへ
すっかり忘れていたことばかりです。
貴女の方は中学生のとき小説を書いていて将来は作家かバトンの選手になりたいと言ってましたね。
街コンで息子さんが見られればいいなあ。
 
 
 
訂正 (Bianca)
2017-08-15 23:10:27
lunaさんへ
「街コン」の参加資格:女性33歳まで男性36歳まで
つまりコンサートじゃなく婚活パーティなんですね。
知ったかぶりをするものじゃないわね。
息子さんを見るのは別の機会ということに。
 
 
 
Unknown (luna)
2017-08-16 02:35:22
あはは、そうですそうです。街コンは街でのコンパですね。いやーBiancaさん街コンをご存知なのねさすが博識と思いました(^.^)
息子はシフトで休みでなければ、エスカレーターを上った丘の上?のシロフクロウが展示されている建物内の病院にいるようです。お昼ご飯にはよく施設内のお蕎麦屋さんも利用するみたいですよ。職員のお昼休みは11時〜12時だそう。
もし見かけたらきっと解ると思います(^.^)
 
 
 
Unknown (Bianca)
2017-08-26 21:25:05
lunaさんへ
松江の女性はよいお嫁さんになれることは証明済ですので、(フロッグマン・小泉八雲で)街コンとかそのほかで素敵な配偶者を見つけられるよう祈っています。
 
 
 
Unknown (アラブの友)
2017-09-05 21:45:09
久しぶりにビアンカさんのブログを拝見し(いつも見ていなくて失礼)、貴女とご両親と懐かしいシリアの話を楽しみました。ラッカにいたとなると今のイスラム国の事態は悲しいことですね。私はシリアの和平が一日も早く来るように願って、Facebookに今年1月から毎月拙いシリアを主題にした水彩画を載せています。
それと、俳句も独学で一日一句作りたいと思ったのですが、悲しいかな言葉が出て来なくて、三日坊主に終わりました。テレビでプレバトを見てはいるのですが。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2017-09-13 21:31:32
アラブの友さま
コメントをいただいていたのに、気付かずにお返事がこんなに遅くなってごめんなさい!!!!ラッカは親善サッカー試合で協力隊員がラッカチームと対戦したので、ラタキアから鉄道で応援に行ったので一泊だけですが、写真が残っていて、とても懐かしい思い出になっています。シリアの思い出を楽しんで頂いてうれしいです。
水彩画とか俳句とか、優雅にお過ごしのようですね。俳句に挑むというその積極性が羨ましい!!私は夏井先生を尊敬するあまり、一歩踏み出す勇気がありません。
 
 
 
Unknown (桃すけ)
2017-09-23 17:01:14
とても興味深い内容でした。もし私があなたのように、シリアに行ったとしたら、たぶん、父も母も病気になるでしょうね。俳句を詠むなんて、とてもとても。日本の中をよく一人旅をしましたが、すべて内緒で、友達と行くということにしていました。お母さまはフェミニストということでしたが、私の母は自覚はしていなかったと思いますが、フェコニストですね。女性より男性が偉いという考え方は持っていませんでした。「私は、心情左派」と言っているのを聞いて笑ってしまいました。そうかもね、と。明治生まれの父は、ゆるーい右派です。母と私は、かなり似ていて、母の考え方に反抗したことはなかったように思います。「雨の日に、お香を焚きながら本を読むのが好き」と言っていたのを記憶しています。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2017-09-26 08:13:08
桃すけ様

>もし私があなたのように、シリアに行ったとしたら、たぶん、父も母も病気になるでしょうね。

それこそ正しい親子の在り方というものでは?

私の両親の場合は、私がその辺にいると病気になりそうだったようです。

「あんたには外国が向いている」と母が言っていました。
 
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