映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
海外で見た1964東京五輪
2019年08月22日 / 雑
長姉(25歳)は、1964年の五輪当時、スウェーデンにおり最初の子の子育て中であった。
式は日本ではなく向うで挙げた。市役所の前で撮った写真は、スーツ姿で、花嫁らしさと言っては手に持った小さい花束だけだ。
彼女の手紙から。ただし「夫」「子供」の部分は固有名詞で書かれている。
~~~~~~ スエーデンから ~~~~~~~~
「私たちがストックホルムの街を歩いていると、街角に立っている少年たちが、『トーキョー!』『ヤーパン!』と声をかけます。毎月子供を健康診断に連れていくところのお医者さんは、『オリンピックには、東京に帰るのですか』とたずねましたが、次の月には『東京でオリンピックをやっているのに、あなたはなぜスエーデンにいるのですか?』とまたたずねました。このお医者さんは東京に行ってみたかったのかも知れません。
私たちはオリンピックを機会に、新聞をとることにしました。郵便で申し込むと、9月4日からから毎朝配達してくれるようになりました。
DAGENS NYHETER (Daily News)という、スエーデンで一番大きい新聞です。(平日30万部、日曜45万部)特派員は2人、10月初めごろから、日本紹介の記事が出始めました。
風呂敷包み、ねんねこ姿、しゃがんで新聞を読んでいる人、しゃがんでテレビを見ている人、かっぽう着姿のおばさんが、買い物かごに、小さな女の子を入れて運んでいる写真は、ちょっと奇妙なものでした。それから高校生らしい二人連れの女の子が、くすくす笑っている写真。そしてこの紹介記事の一番大きな見出しは、「女の子たちが私たちを見てくすくす笑うー私たちが大きくてエキゾチックだから」
選手の活躍ぶりは、毎日大きく報道されました。1面に関係記事がなかったのは、フルシチョフ退陣のニュースと、その翌日の中共の核実験が報道された日ぐらいです。
自転車レースで3位になった時は『我々はメダルを獲得するためにトーキョーに来たのだ』という威勢の良い見出しとともに受賞中のカラー写真が一面を飾りました。
開会式や、カヌー(初の金メダル)など、カラー写真はふんだんに使われていました。
水泳自由形の女王”アン・クリスチン・ハクベリーさんは、病気になったとかで、惜しくも決勝進出はならず。もう一人のホープ、陸上長距離(5000、10000m)ラーションは、入賞を期待されていたのですが、予想外の不成績。
★ヨットに出場、レースを途中でやめて、海中に転落した外国選手を助け上げたのは、スエーデン選手団中ただ一人の学生。夫の勤務先、スエーデン王立工科大学の学生でした。
スエーデンの国民に最も親しまれているスポーツは、サッカーとアイスホッケーです。ちょうど日本における野球のようなものです。こちらではキャッチボールをやっているのを見たことがありません。運動具店にも、百貨店にも、グローブやバットは売っていません。夏の間は、草原でボールをけっている姿などをよく見かけます。
そのサッカーの話。戦前のオリンピック、ベルリン大会で、スエーデン対日本の試合が行われました。スエーデンは優勝候補、日本は名もないチーム、そこでスエーデンは、メンバーを落として対しました。試合開始後、間もなく、日本側がポンポンと点を入れました。ビックリしたのはスエーデン側、あわてて選手を入れ替えましたが、時、すでに遅く、焦れば焦るほど点は取れず、結局1点差で優勝候補は破れ去りました。この時は国中がシュンとなり、女の子まで涙を流したということです。
この話を、ストックホルムにいる日本人は、たいてい一度か二度は聞かされているそうです。私たちも、ここの母屋の教授夫妻から聞きましたし、夫は出勤電車の中で、向いに座ったおじさんからも聞いたそうです。年取った人がまだ覚えていて、日本人とみれば話すところからも、その悔しさの程が想像できるようです。
オリンピックが無事終って、東京には立派な競技場と道路が残り、東海道新幹線は開通し、日本は金メダル16個を取ることが出来て、よかったと思います。
★これはつい最近、日本のTVでも美談として語られていた。
式は日本ではなく向うで挙げた。市役所の前で撮った写真は、スーツ姿で、花嫁らしさと言っては手に持った小さい花束だけだ。
彼女の手紙から。ただし「夫」「子供」の部分は固有名詞で書かれている。
~~~~~~ スエーデンから ~~~~~~~~
「私たちがストックホルムの街を歩いていると、街角に立っている少年たちが、『トーキョー!』『ヤーパン!』と声をかけます。毎月子供を健康診断に連れていくところのお医者さんは、『オリンピックには、東京に帰るのですか』とたずねましたが、次の月には『東京でオリンピックをやっているのに、あなたはなぜスエーデンにいるのですか?』とまたたずねました。このお医者さんは東京に行ってみたかったのかも知れません。
私たちはオリンピックを機会に、新聞をとることにしました。郵便で申し込むと、9月4日からから毎朝配達してくれるようになりました。
DAGENS NYHETER (Daily News)という、スエーデンで一番大きい新聞です。(平日30万部、日曜45万部)特派員は2人、10月初めごろから、日本紹介の記事が出始めました。
風呂敷包み、ねんねこ姿、しゃがんで新聞を読んでいる人、しゃがんでテレビを見ている人、かっぽう着姿のおばさんが、買い物かごに、小さな女の子を入れて運んでいる写真は、ちょっと奇妙なものでした。それから高校生らしい二人連れの女の子が、くすくす笑っている写真。そしてこの紹介記事の一番大きな見出しは、「女の子たちが私たちを見てくすくす笑うー私たちが大きくてエキゾチックだから」
選手の活躍ぶりは、毎日大きく報道されました。1面に関係記事がなかったのは、フルシチョフ退陣のニュースと、その翌日の中共の核実験が報道された日ぐらいです。
自転車レースで3位になった時は『我々はメダルを獲得するためにトーキョーに来たのだ』という威勢の良い見出しとともに受賞中のカラー写真が一面を飾りました。
開会式や、カヌー(初の金メダル)など、カラー写真はふんだんに使われていました。
水泳自由形の女王”アン・クリスチン・ハクベリーさんは、病気になったとかで、惜しくも決勝進出はならず。もう一人のホープ、陸上長距離(5000、10000m)ラーションは、入賞を期待されていたのですが、予想外の不成績。
★ヨットに出場、レースを途中でやめて、海中に転落した外国選手を助け上げたのは、スエーデン選手団中ただ一人の学生。夫の勤務先、スエーデン王立工科大学の学生でした。
スエーデンの国民に最も親しまれているスポーツは、サッカーとアイスホッケーです。ちょうど日本における野球のようなものです。こちらではキャッチボールをやっているのを見たことがありません。運動具店にも、百貨店にも、グローブやバットは売っていません。夏の間は、草原でボールをけっている姿などをよく見かけます。
そのサッカーの話。戦前のオリンピック、ベルリン大会で、スエーデン対日本の試合が行われました。スエーデンは優勝候補、日本は名もないチーム、そこでスエーデンは、メンバーを落として対しました。試合開始後、間もなく、日本側がポンポンと点を入れました。ビックリしたのはスエーデン側、あわてて選手を入れ替えましたが、時、すでに遅く、焦れば焦るほど点は取れず、結局1点差で優勝候補は破れ去りました。この時は国中がシュンとなり、女の子まで涙を流したということです。
この話を、ストックホルムにいる日本人は、たいてい一度か二度は聞かされているそうです。私たちも、ここの母屋の教授夫妻から聞きましたし、夫は出勤電車の中で、向いに座ったおじさんからも聞いたそうです。年取った人がまだ覚えていて、日本人とみれば話すところからも、その悔しさの程が想像できるようです。
オリンピックが無事終って、東京には立派な競技場と道路が残り、東海道新幹線は開通し、日本は金メダル16個を取ることが出来て、よかったと思います。
★これはつい最近、日本のTVでも美談として語られていた。
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