映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
細江英公の小さいカメラ
「薔薇刑」1963より
講演「奈良原一高と私、そしてVIVO」8月15日島根県立美術館
細江英公(1933~)は77歳。私はかれの作品を「薔薇刑」「鎌鼬(かまいたち)」など位しか知らない。想像していたのは鋭く尖った風貌だった。実際は、にこやかな丸顔で、東京育ちらしく洒脱で人をそらさぬ趣きがあった。「本当は奈良原さん本人が来るのがいいんだが、具合がよくないらしくて・・・僕も蔦谷さんの解説を聞きたい位だよ」と言い、先週の蔦谷典子氏の周到で濃密な講演とは対照的な、終始リラックスした雰囲気だった。始まる前に、退屈したら途中で抜け出せるように後方に移ろうかとかなり迷っていたのだが、それは全く杞憂で、この前まで大学生に教えていたという経歴はダテじゃない。
奈良原一高の初個展「人間の土地」が1956年10月銀座の松島ギャラリーで開かれたのと同じ頃、はす向の小西六フォトサロンで、細江氏の「東京のアメリカ娘」が催された。これを機にVIVOという若手写真家集団が結成される。写真界は戦前から「社会派リアリズム」が支配的だったが、若者たちが生み出したのは毛色の違うものだった。VIVOは海岸で合宿したり野球チーム「レンザーズ」を作ったりもした。愉快なのは背番号が絞りと露出の数字で、奈良原一高のは2.0だったとか。細江氏の「アメリカ娘」は写真誌には載らなかったかわり、民放で放送劇になった。彼は人体に興味を持ち、女性モデルと、土方巽で「おとこと女」1960を発表する。ちょうどスタジオ周辺は安保反対のデモの叫び声でゆれていたが、彼はデモに行く代わりに、その張りつめた社会の空気を、黒白のコントラストの強い画像に表現したとのこと。
会場から、澁澤龍彦や三島由紀夫など文学者を撮ることについて聞かれた。氏は彼らの作品を愛し、彼らの愛するものを自分も知ろうとしたとのこと。絵画と写真の優劣を論じる、絵を描く男性の大胆な質問にもニコニコと答え、小学生に写真を教えたいという将来の展望も。
喜劇作家が気難しく、バイオレンス作家が小心者だとか、作品と作者の乖離はよくあることだが、本人に会うことでこうもアッサリと作品のイメージが崩れたのは、最近めったにない経験だ。しかも、街角で有名人に遭遇することが珍しくない東京ならともかく、この僻遠の地で。彼のほうも、こんなに大きく立派な美術館で写真の個展が行われるなど、往時からすれば思いも寄らぬことだと、感慨深そうだった。
細江氏が撮影したある文学者の名前を言おうとして思い出せず暫しの沈黙があった時、自分のことのようにドギマギ・ハラハラしていた私、「桃山城で撮った」「少年愛の」と彼がヒントを出すのに「稲垣足穂?」と思い切って言ったら、さいわい当たっていたらしい。「足穂を忘れちゃしょうがないなあ」と氏が破顔一笑、ほっとした。
最後に細江氏は胸に抱えた小さなカメラを「これで全員映ります。」と私たちに向け「レンズを見て。目を開けて」「今度は目をつぶって」「レンズ以外の好きな方向を見て」と3枚撮り「このうちどれが一番面白いと思いますか?」と質問した。3番目だろうと思ったが意外にも2番目。目をつぶった時に、人の中身が出るのだそうな。群像の1人ではあるが三島・澁澤・足穂を撮ったカメラマンに映してもらったことは光栄である。
彼の名前からはふとタンポポ(蒲公英)を連想したりするが、人を相手の写真家のせいか、接して不安を覚えないし、基本的に心(頭?)の柔かい人だなあと言う印象だった。
講演「奈良原一高と私、そしてVIVO」8月15日島根県立美術館
細江英公(1933~)は77歳。私はかれの作品を「薔薇刑」「鎌鼬(かまいたち)」など位しか知らない。想像していたのは鋭く尖った風貌だった。実際は、にこやかな丸顔で、東京育ちらしく洒脱で人をそらさぬ趣きがあった。「本当は奈良原さん本人が来るのがいいんだが、具合がよくないらしくて・・・僕も蔦谷さんの解説を聞きたい位だよ」と言い、先週の蔦谷典子氏の周到で濃密な講演とは対照的な、終始リラックスした雰囲気だった。始まる前に、退屈したら途中で抜け出せるように後方に移ろうかとかなり迷っていたのだが、それは全く杞憂で、この前まで大学生に教えていたという経歴はダテじゃない。
奈良原一高の初個展「人間の土地」が1956年10月銀座の松島ギャラリーで開かれたのと同じ頃、はす向の小西六フォトサロンで、細江氏の「東京のアメリカ娘」が催された。これを機にVIVOという若手写真家集団が結成される。写真界は戦前から「社会派リアリズム」が支配的だったが、若者たちが生み出したのは毛色の違うものだった。VIVOは海岸で合宿したり野球チーム「レンザーズ」を作ったりもした。愉快なのは背番号が絞りと露出の数字で、奈良原一高のは2.0だったとか。細江氏の「アメリカ娘」は写真誌には載らなかったかわり、民放で放送劇になった。彼は人体に興味を持ち、女性モデルと、土方巽で「おとこと女」1960を発表する。ちょうどスタジオ周辺は安保反対のデモの叫び声でゆれていたが、彼はデモに行く代わりに、その張りつめた社会の空気を、黒白のコントラストの強い画像に表現したとのこと。
会場から、澁澤龍彦や三島由紀夫など文学者を撮ることについて聞かれた。氏は彼らの作品を愛し、彼らの愛するものを自分も知ろうとしたとのこと。絵画と写真の優劣を論じる、絵を描く男性の大胆な質問にもニコニコと答え、小学生に写真を教えたいという将来の展望も。
喜劇作家が気難しく、バイオレンス作家が小心者だとか、作品と作者の乖離はよくあることだが、本人に会うことでこうもアッサリと作品のイメージが崩れたのは、最近めったにない経験だ。しかも、街角で有名人に遭遇することが珍しくない東京ならともかく、この僻遠の地で。彼のほうも、こんなに大きく立派な美術館で写真の個展が行われるなど、往時からすれば思いも寄らぬことだと、感慨深そうだった。
細江氏が撮影したある文学者の名前を言おうとして思い出せず暫しの沈黙があった時、自分のことのようにドギマギ・ハラハラしていた私、「桃山城で撮った」「少年愛の」と彼がヒントを出すのに「稲垣足穂?」と思い切って言ったら、さいわい当たっていたらしい。「足穂を忘れちゃしょうがないなあ」と氏が破顔一笑、ほっとした。
最後に細江氏は胸に抱えた小さなカメラを「これで全員映ります。」と私たちに向け「レンズを見て。目を開けて」「今度は目をつぶって」「レンズ以外の好きな方向を見て」と3枚撮り「このうちどれが一番面白いと思いますか?」と質問した。3番目だろうと思ったが意外にも2番目。目をつぶった時に、人の中身が出るのだそうな。群像の1人ではあるが三島・澁澤・足穂を撮ったカメラマンに映してもらったことは光栄である。
彼の名前からはふとタンポポ(蒲公英)を連想したりするが、人を相手の写真家のせいか、接して不安を覚えないし、基本的に心(頭?)の柔かい人だなあと言う印象だった。
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