映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
放浪時代
新聞の休刊日は、いま年に何回あるのだろう。
月に一度はあるのではなかろうか。
あの頃はたしか年に1回だった。
昭和48(1973)年、石油危機の年には
町の照明が暗くなり、TVの深夜放送がなくなり、新聞も薄くなった。
私は28歳で、生れてはじめて新聞配達を思い立った。
足ののろいのには定評があって、運動会では後ろから数えた方が早く
体育は最大限さぼり、おかげで留年したような私がどうして?
そういう自分と正反対な「新聞少年」になりたかったのか。
主任は疑わしそうな顔で「足は丈夫ですか?」私は「普通だと思います」とごまかした。「始めたからには1月や2月で止められては困る。」に「しまった」と思うがもう遅い。150部で始め、慣れればもっと増やしてあげると言われ、慌てて100部にしてもらえませんかと値切ったら「100部位じゃ何をしてるのか分からへんで」
そう、そこは大阪の長居駅前の販売店だった。
ーー中略ーー
結局私は11月から4月まで、6か月その仕事をして、また衝動に駆られるように8か月前に離れた東京に舞い戻った。
半年の配達で得たお金は10万円未満だったが、その後しばらくは朝5時に自然と目が覚めるという余禄がついた。
月に一度はあるのではなかろうか。
あの頃はたしか年に1回だった。
昭和48(1973)年、石油危機の年には
町の照明が暗くなり、TVの深夜放送がなくなり、新聞も薄くなった。
私は28歳で、生れてはじめて新聞配達を思い立った。
足ののろいのには定評があって、運動会では後ろから数えた方が早く
体育は最大限さぼり、おかげで留年したような私がどうして?
そういう自分と正反対な「新聞少年」になりたかったのか。
主任は疑わしそうな顔で「足は丈夫ですか?」私は「普通だと思います」とごまかした。「始めたからには1月や2月で止められては困る。」に「しまった」と思うがもう遅い。150部で始め、慣れればもっと増やしてあげると言われ、慌てて100部にしてもらえませんかと値切ったら「100部位じゃ何をしてるのか分からへんで」
そう、そこは大阪の長居駅前の販売店だった。
ーー中略ーー
結局私は11月から4月まで、6か月その仕事をして、また衝動に駆られるように8か月前に離れた東京に舞い戻った。
半年の配達で得たお金は10万円未満だったが、その後しばらくは朝5時に自然と目が覚めるという余禄がついた。
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