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石の文化と木の文化


 シリアにいた時驚いたのは、花の種類が少なく、名前もついていないことだった。花は、殆んどの人には、ただ花と呼ばれるだけである。国土の大半が沙漠という国では、無理もないことかもしれない。そのシリアから、新聞記者が来るので、案内してくれといわれたのは、帰国後間もないころだった。
金閣寺の次に平安神宮と、ハイヤーでお決まりのコースを巡るうち、赤い大鳥居の横で、突然彼が、「外国人はこんなものには興味がない」という。とかく、人の気を悪くするようなことを平気でいうのがシリア人だと、経験上知っているので「では、どのようなものに興味があるのか」と聞くと、「遺跡である」と確信を持って答えた。なるほど、シリアにはパルミラ、エジプトにはピラミッド、あの付近は遺跡がいっぱいだ。それで勝負しろといわれたら、かなわない。
 しかし、仮にも一国を代表する新聞記者が、招待国の文化に興味を持たないのは仕方ないとしても、最低限の礼儀もわきまえず、このようなことを言うものだろうか、とつくづく相手の顔を見てしまうことだった。
 同じイスラム圏でも、その直前にモロッコの記者を案内した時は、インテリらしい知性とユーモアを言葉の端々に感じて、心の通い合うものがあった。個人差か、国の制度の違いか。シリアのような軍事独裁国では、知性や教養の有る者は新聞社ではなく、刑務所にいるのだろうと考えて、自分を納得させた。
                05-10-18作成 05-10-19提出 05-11-02返却
文章教室 課題「石」

 【八木先生評】
 木の文化の国では、石の遺跡はみばえのしないものばかりです。そんなところを何を見に来たのかと問い返してやりたいところですね。

 と、京都出身の八木先生は、大変憤っておられた。

 炎上する首里城を見るとき、三島由紀夫「金閣寺」、芥川龍之介「地獄変」と第二次大戦の空襲で燃えた日本の都会とともに、自分の書いた文のこのタイトルが頭に浮かんだ。

 木造なら当然こういうこともあろうという声をTVで聞き、その突き放した言い方に唖然としたが、燃えない材質で作っていれば、大丈夫かと言えば、パルミラの遺跡も、アフガンの摩崖仏も、狂信的な勢力の前にはなすすべなく崩れた。しかし火にも焼けず、破壊にも屈しないのが「文化」というものだ。それが、一番強いのではないだろうか?
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (kazukokawamoto)
2019-11-05 08:39:09
八木先生の評議も厳しい言葉をもらう時もあります。そんな時、書いて気分悪くなった思いします。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2019-11-05 19:42:24
kazukokawamotoさま

八木先生もその日の調子でコメントに色々あるようですが、この文の場合は適切だと思います。
この文の趣旨は、シリア人と付き合うのはどれほど大変かということでしたが、「ははあ、こういう風に切り返せばよいのか」、と素敵なアドバイスを下さったのだと。尤も、先生だってその場にいればそううまくはいかないのではと思いますが。
確かに先生の評言次第で自分の書いた文が好きになったり嫌いになったりするのは、困ったものです。
 
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