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わすれなぐさ

著者 吉屋信子
発行所 国書刊行会
発行年 2003年(初出1932年4-12月「少女の友」)

吉屋信子36歳の作品。彼女の面目躍如の「少女小説」。

「あの夜の仄暗い庭の木立で、自分の頬のあたりを匂いを込めた絹レースの半巾で優しくふいて、『わすれなぐさの香水よ、お気に召して、この匂い』と囁いた陽子・・・・・・
「心弱く、面を背向けようとする時、ふっとあのわすれなぐさの匂い、陽子がいつも使うわすれなぐさの香水の匂いが、あやしい心をときめかすあの仄かな匂いがするのだった。」
「ああ、麻薬! これこそ美しい毒を含む花の露のごと、陽子の一言一言は牧子にこよなき悲しみを忘れさせる不思議に妖しき魔女の声だった」

東京のある高等女学校を舞台とし、相庭陽子、佐伯一枝、弓削牧子の3人の主役の演じる劇である。作者お得意の美文をちりばめつつ、当時の世相を映している。学園では「クレオパトラ」こと「クレオの君」と呼ばれる陽子はフランス語とピアノを習い、自家用車でドライブし・映画・飲酒・ダンス・化粧や香水などを享受する「軟派の女王」。父は実業家で住まいは麹町。片や「硬派の大将」の一枝は軍人の父が亡きあと、母と弟妹のさびしい家庭で、勉強一途の模範生。住居は四谷伝馬町。個人主義者の牧子は理学博士の娘で弟と病気の母。家は本郷森川町だ。

冒頭で牧子が一枝にノートを借りるシーンをじっと見入っていた陽子は誕生会に招待して、なんとか牧子と近づこうとする。

「M・Y・あの人を完全に征服してしまうのが、今の私の生活の一番楽しい大きな興味だ。私は努力し必ず成功して見せよう」と彼女は日記帳に記す。

この3人の相関関係が主筋だが、背景の弟たちも重要だ。それに著者の男女観・人間観がうかがえる。

牧子の弟はピアノが好きで上手だが、父親に禁止されてしまう。

「父の博士には男の子は頼もしい自分の後継者として眼中にあるが、長女の牧子は女の子なるがゆえに、どうでもよい余計な子のような感じを持っているらしかった。牧子が学校の成績のいいのを喜ぶのは母だけだった。男尊女卑者の父には要するに女の子の学校のことなど、どうでもよかったのである」

一枝の弟は、父の遺言で軍人になれと言われている。

「母は父の遺言を後生大事と守って、一人の男の子の光夫を立派な軍人にし父のあとを継がせるということにのみ目的を置き過ぎるあまり、父の亡き後はまるで光夫が一家の主人の如く母はこれを大切にし、弟の光夫の望みは無理をしても叶えてやり、まるで母は男の子に服従しているようで、女の子は自然粗末にされるというほどでもないが、その次になってしまうのだった。」

うちの中で、男の子より下に置かれる女の子。男ばかりの兄弟の中で唯一の女だった彼女の痛切な経験が反映されている。吉武輝子「女人吉屋信子」参照。
それとともに軍人より科学者を志向し、科学よりも音楽に進みたい男の子に作者は同情的だ。

 昭和7年、信子36歳の作品だ。3年前、1年にわたる外国旅行から帰国して「これからはダンスもして、不良になる心がけで享楽第一で行く」と宣言した彼女の面影が見える。

しかしわずか6年後の「伴先生」がすっかり修身の授業のようになっていることに、時代の急変ぶりがうかがわれる。それでもまだ中原淳一の絵が表紙になっている間はよかった。1941年(「夏休みの終わるころ、少女の友から中原淳一の絵が消えた」田辺聖子『欲しがりません勝つまでは』)12月に太平洋戦争が勃発する。

→「ときの声」21-7-28
→「伴先生」21-6-5
→「風雨強かるべし」20-8-14
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