映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
木下尚江「火の柱」
2011年09月25日 / 本
岩波文庫 1954年(1976年7刷)
初出:東京毎日新聞 1904年1-3月
日露戦争が始まる1904(明治37)年に発表されたこの小説は、戦争と売買春反対の信念に貫かれている。主人公・篠田長二は、キリスト教社会主義者だった著者がほぼそのままだと思えばいいだろう、非戦論のため教会から追放されるが、誤解と孤立を恐れず、逮捕、投獄されれば、法廷で自論を説くチャンスだとそれを喜ぶ。あらゆる面で国民の間の格差が大きかった時代に、自己の義務を強く自覚した知的エリートがいたこの時代。戦争が近い時に、反戦集会が開かれ、超満員になったというのも、驚くべきことだ。
一方、彼を慕う山木梅子はどのような人物か。父は紳商と言われるが、彼女を海軍軍人と結婚させたがっている。が、彼女は、教会で出会った篠田長二にいちずである。以下は吉屋信子の「黄薔薇」や川端康成の「朝雲」を思い出させる。
「白きフラネルの単衣(ひとえ)に、漆の如き黒髪グルグルと無雑作に束ね、眼鏡越しに空行く雲静かに仰ぎて、独りホホ笑みぬ」
「銀子は梅子の膝に身を投げ出し、涙に濡れたる二つの顔を重ねつつ「梅子さんーー寄宿舎の二階から閃めく星を算へながら、『自然』にあこがれた少女(をとめ)が昔日(むかし)が、恋しいワーー」ワッと泣き洩る声を無理に制せる梅子は、ヒシとばかり銀子を抱きつ、燃え立つ二人の花の唇、一つに合して、しばし人生の憂きを逃れぬ。」
この時代にこう言う描写が平気に出来るのは『青鞜』を思えば意外でもない。また、後年の柳原白蓮と宮崎龍介の恋を予言しているようにも思える。
火の柱とは旧約聖書「出エジプト記」に出てくる。>BLOG「図書館で会った人だろ」
「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、 夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」
「火の柱」発刊の1904年には父が「青鞜」創刊の1911年には母が生まれ、私は1944年サイパン陥落の年に生まれた。
初出:東京毎日新聞 1904年1-3月
日露戦争が始まる1904(明治37)年に発表されたこの小説は、戦争と売買春反対の信念に貫かれている。主人公・篠田長二は、キリスト教社会主義者だった著者がほぼそのままだと思えばいいだろう、非戦論のため教会から追放されるが、誤解と孤立を恐れず、逮捕、投獄されれば、法廷で自論を説くチャンスだとそれを喜ぶ。あらゆる面で国民の間の格差が大きかった時代に、自己の義務を強く自覚した知的エリートがいたこの時代。戦争が近い時に、反戦集会が開かれ、超満員になったというのも、驚くべきことだ。
一方、彼を慕う山木梅子はどのような人物か。父は紳商と言われるが、彼女を海軍軍人と結婚させたがっている。が、彼女は、教会で出会った篠田長二にいちずである。以下は吉屋信子の「黄薔薇」や川端康成の「朝雲」を思い出させる。
「白きフラネルの単衣(ひとえ)に、漆の如き黒髪グルグルと無雑作に束ね、眼鏡越しに空行く雲静かに仰ぎて、独りホホ笑みぬ」
「銀子は梅子の膝に身を投げ出し、涙に濡れたる二つの顔を重ねつつ「梅子さんーー寄宿舎の二階から閃めく星を算へながら、『自然』にあこがれた少女(をとめ)が昔日(むかし)が、恋しいワーー」ワッと泣き洩る声を無理に制せる梅子は、ヒシとばかり銀子を抱きつ、燃え立つ二人の花の唇、一つに合して、しばし人生の憂きを逃れぬ。」
この時代にこう言う描写が平気に出来るのは『青鞜』を思えば意外でもない。また、後年の柳原白蓮と宮崎龍介の恋を予言しているようにも思える。
火の柱とは旧約聖書「出エジプト記」に出てくる。>BLOG「図書館で会った人だろ」
「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、 夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」
「火の柱」発刊の1904年には父が「青鞜」創刊の1911年には母が生まれ、私は1944年サイパン陥落の年に生まれた。
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