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「青鞜」創刊号


   ↑長沼智恵子(のちの高村智恵子)による表紙  明治44年(1911年)9月1日刊
 
今年は青鞜創刊100年とかで復刻版の展示が県立図書館であった。名前だけは散々目にして来たが、そのものを一冊通して読んだのは初めてだ。

らいてうの「元始、女性は太陽であった」とか与謝野晶子の「山の動く日来る」で始まる「そぞろごと」などの有名な詩文のほかに、首を傾げたくなるようなものもあるが、こちらの方が読んで面白い。
鴎外の妻、森しげ女の「死の家」は、最近の「死の街」発言を思い出すが、病の重い乳母を見舞う文で、高飛車なお嬢様目線の発言が多々あり、こういう人物では、鴎外ももてあましただろうと思うし、国木田治子はすでに「破産」と言う写実的な文を書いている人とも思えず、「猫の蚤」というのは、ある女学生が仲の悪い姉への腹いせにその愛猫の蚤を無理やり取ってやると言った、今なら中学一年生でも書かないような幼稚なものである。一方、荒木郁子の戯曲「陽神の戯れ」は少し変わっている。登場人物は女神と30代から10代の男女が2人ずつ。22歳の男と24歳の人妻が駆け落ちする途中、女性が心変わりし、そこへ追って来た18歳の少女(男のフィアンセ)が熱誠こもる説得をして元の鞘に納まるという、良識の枠にはまるもので、この筋書きはらいてうと森田草平の「煤煙」事件を思い出させ、「まじめ」というキーワードからは「虞美人草」を思い出させる。

しかし、創刊号が幼稚であろうと玉石混交であろうと、この雑誌が女性史上に持つ意味は変わらないし、「青鞜」の名は今も燦然たる輝きを放っている。女性たちはこれを発展させ、それに刺激されて集まってくる中に、大震災後に大杉栄とともに扼殺された伊藤野枝や自由奔放な尾竹紅吉→富本一枝などがいたのだから。

そういえば私の母も同じ年で、雑誌の3ヶ月あとに生まれている。ということはまもなく100歳。
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