映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
〔映画〕ウインター・ソング (冬の歌)
2005年香港(ユナイテッドシネマ長崎にて11月30日鑑賞)
監督:ピーター・チャン 出演:金城武 周迅(ジョウ・シュン)
邦語題 「ウィンター・ソング」(邦訳に難渋or韓流ドラマに便乗?)
中国語「如果、愛」英語「Perhaps Love」
映画の突端、降りしきる雪と音楽(めんめんとしてセンチメンタルなピアノ曲)の場面だけで、どんな作品か、かなり予想がつきます。私の反応は「いいぞー、この映画は」というものでした。
これは、男の「女々しさ」を全面に歌った作品です。男が女々しい、そういわれるとムカッと来る、特に男性は多いかも知れませんが(私も、それで一週間くらい口を利いてもらえなかったことがあります)。男とは元来、女々しい部分を持った存在じゃありませんか?第一このことば自体、女性に関していわれることはありません。
一方、男気にあふれた?ピーター、美輪明宏etcが、「女々しさ」が少ないように見えるのは、あの人たちが女性の部分をもっているせいではないでしょうか?
つまり、「女々しさ」=男性の本質ということ。それを正面切って表現したピーター・チャン監督と金城武はすばらしい。
テープコーダーの場面で、執念深さにゾッとするという声しきりですが、自分を振り返っても、恋をすれば、あれが自然では、と思うのですが。
女優、ジョウ・シュンの演じるヒロインは、私から見ると、生身の女性と言うよりは、恋の対象が常にもつ不可解さ、とらえ難さのシンボルとしか感じられませんでした。
最後に、最初と同じ、粉雪とピアノ曲の場面になり、こちらは短く、ストン、と消えます。十年もの恋も、時がくればこのようにあっけなく終るのだという感じです。
なお、途中の歌と踊りのシーンは、大いに楽しく、インド映画のようだと思ったら、実際、振付師は Farah Khan(インド女性)だそうです。
この「ユナイテッドシネマ長崎」は駅隣で、客も結構多く、周辺では、外国人と談笑する市民の姿が見られ、さすが昔から開けた町と言う感じで、鹿児島との違いを痛感しました。
監督:ピーター・チャン 出演:金城武 周迅(ジョウ・シュン)
邦語題 「ウィンター・ソング」(邦訳に難渋or韓流ドラマに便乗?)
中国語「如果、愛」英語「Perhaps Love」
映画の突端、降りしきる雪と音楽(めんめんとしてセンチメンタルなピアノ曲)の場面だけで、どんな作品か、かなり予想がつきます。私の反応は「いいぞー、この映画は」というものでした。
これは、男の「女々しさ」を全面に歌った作品です。男が女々しい、そういわれるとムカッと来る、特に男性は多いかも知れませんが(私も、それで一週間くらい口を利いてもらえなかったことがあります)。男とは元来、女々しい部分を持った存在じゃありませんか?第一このことば自体、女性に関していわれることはありません。
一方、男気にあふれた?ピーター、美輪明宏etcが、「女々しさ」が少ないように見えるのは、あの人たちが女性の部分をもっているせいではないでしょうか?
つまり、「女々しさ」=男性の本質ということ。それを正面切って表現したピーター・チャン監督と金城武はすばらしい。
テープコーダーの場面で、執念深さにゾッとするという声しきりですが、自分を振り返っても、恋をすれば、あれが自然では、と思うのですが。
女優、ジョウ・シュンの演じるヒロインは、私から見ると、生身の女性と言うよりは、恋の対象が常にもつ不可解さ、とらえ難さのシンボルとしか感じられませんでした。
最後に、最初と同じ、粉雪とピアノ曲の場面になり、こちらは短く、ストン、と消えます。十年もの恋も、時がくればこのようにあっけなく終るのだという感じです。
なお、途中の歌と踊りのシーンは、大いに楽しく、インド映画のようだと思ったら、実際、振付師は Farah Khan(インド女性)だそうです。
この「ユナイテッドシネマ長崎」は駅隣で、客も結構多く、周辺では、外国人と談笑する市民の姿が見られ、さすが昔から開けた町と言う感じで、鹿児島との違いを痛感しました。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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金城武演じるジェントンは本当に女々しくて情けなくてそれがよかったです。
テープレコーダーのエピソード、巷の反応はそうなんですか・・・。
私はBiancaさん同様、相手を思うあまり起こす行動はみんな多かれ少なかれみっともないしなりふりかまわないものだと思うので、あのエピソードは男とか女とかを超えて、かなり理解できるものでした。
>執念深さにゾッとするという声しきりですが…
これって女性の声が多いんでしょうかね。少しやりすぎかもしれないけど、他が見えなくなってる時なら、ありじゃないですか。ただ、それを彼女に聞かせるのは、どうかと思うけどね(^^;
<相手を思うあまり起こす行動はみんな多かれ少なかれみっともないしなりふりかまわないものだと思う>
って、含蓄のあることばですね。だから、乳飲み子を抱えたり、病児を連れて夜間診療所に駆けつけた母親が、そう見えるんですね。私のうちは内科小児科の開業医でしたので、そういう場面に良く遭いました。(あ、この例はジェントンには相応しくないか)
sabunoriさんも、この道はくわしそうですね。
カヌさん、たしかに、聞かせるのはただの友達止まりですね。当の相手にしたら一体、どんな顔をして聞けばいいのか、分らないでしょうね。
ところで「巷で評判悪い」というのは、思い過ごしかもしれません。確か、一人か二人はそういっていましたが・・・それと、今どきそんな青年もいないでしょうが、彼女に捧げる詩集を、皆に見せびらかす人もイヤですね。やったラブレター全部返せと言う男性も(自分の執筆活動の記録としたいとかで)
美輪明宏とピーターを引き合いに出されると説得力があります(笑)。そういえば黒蜥蜴は女々しくなかったですわ。
うーむ、女々しさが男の本質だとするならば、男が男らしくあろうとすればするほど、女々しさが見えてくるのかもしれませんね。
それはそうと、どんな男性でも女性的な部分を持っていると思います。逆もまたしかりで。自分の異性的な部分にどれだけ自覚的か・・・によって、人の見え方が変わってくるような気がします。
あと、女性の執念深さというと怖いイメージがありますが、男性だと情けないイメージになってしまいそうですね(笑)。
コメント・TBありがとうございます。
なかなかの洞察力をお持ちのようで。
女性は強く、男性は繊細、これは自分の両親を
見て感じたことで、うちだけの現象かと思っていたのですが、どうやら世間一般そのようですね。