映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
蟹工船と私
ワーキング・プア理解の手がかり、「蟹工船」を20万部増刷 (昨朝の毎日新聞)
と言う記事に心がざわめき、一言したくなった。
この小説とプロレタリア作家・小林多喜二の名を知ったのは1950年代半ば、小学生の時で、担任の先生に「君たちには少し早いかも知れない」と言われたため、かえって興味をそそられ、早速我が家の文学全集を引き出したものの、
「おい、地獄さ行(え)ぐんだで」という冒頭の一行に、ひるんだのは、やはり早すぎたのか、10歳そこそこでは知識も想像も及ばない世界で、遠すぎたと言うほうが当たっている。その時は一応最後まで読み、「カムサッカ体操」という文句が強烈に記憶に残った。あれから50年、その間には彼の作品、
「党生活者」も読み、伝記映画(74年・今井正)も見た。「新潮昭和文学アルバム」をとっくり眺めて、何とか親しみを覚えようとした。信念に殉じて死んだ人だから、親しめるはずが無いのだが。あとで「ハウスキーパー」という、女性蔑視的な制度にのっとった一面のあったことを発見し、そら見たことか、と自分の反感の裏づけが取れたような気がした。
文章教室で「階級」という題が出された時に、あの当時3万冊売れたと言うことが印象的だったので引用してみた。
授業が終るとKさん(70代)が若いころ、職場の読書会で読んだと、親しげに話しかけてきた。席が離れているため、会釈位はするが、あまり口を利いたことの無いかれとわたしの距離を「蟹工船」が一挙に縮めてくれた訳だ。
小林多喜二(1903-1933) 「蟹工船」1929 「党生活者」1932
石川啄木(1986-1912)
「労働者」「革命」などといふ言葉を 聞きおぼえたる 五歳の子かな。
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タイトル 「階級の実感」
「階級」という題を出されて、ほかの受講生もそうだと思うが、はた、と困ってしまった。マルクス主義の経済や歴史に接した学生時代以来、この言葉とはすっかりご無沙汰していて、考えてみると、身のまわりでそういうことを聞いた覚えもない。「男はつらいよ」の中で、寅さんがタコ社長の零細工場に向かい「労働者諸君!」と呼びかけるくらいだ。
昭和の初め、「蟹工船」という小説が半年で三万部も売れたそうだ。石川啄木の歌に、五歳の子が「労働者」「革命」などと言う言葉を聞きおぼえてしまった、とあるのは、明治の末のことだ。当時は実際、下層階級が日本人の大多数を占めていて、そのような言葉と知識を切実に必要としていたのかもしれない。
幼いころ、戦後の生活は貧しかったが、周り中が皆そうなのでとくになにも思わなかった。やがて一億総中流などと言われた時期を経て、今、上流と下流に二極分化し始めているらしい。つまりニートやフリーターの大量出現が、そのような未来を予想させるのだ。
しかし、下流といえども、日々の食事に困るというほどのことはなく、車は無くてもテレビや携帯電話はもっている。アパートも今やバス・トイレつきが大半である。日本国内では階級間の対立や、闘争や、革命などという言葉とはもはや無縁のように見える。
大富豪になるのは願い下げだが、ホームレスにさえならなければ、生活保護を受けてもそこそこに暮らせると思う。ただ一つ心配なのは、日本が国ごと破滅への道に進むことである。
【八木先生評】
それでも一億総下流化などということにはなりますまい。若い人のすべてがニート、フリーターということになりさえしなければ。
(文章教室 課題「階級」 2006年2月12日作成、15日提出、3月1日返還)
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「ほかの受講生もそうだと思うが」の部分に、八木先生は気色ばんで、「この人がそう思うだけで、ほかの人がそう思っているわけではないだろう、イヤ、まったく」と言われたのに対し、数人が口々に「イエイエ、困りました~」と言っていたが、声が小さくて、先生の耳に達しなかった。ここでわたしの釈明。複数の人から実際に聞いたので、「そうだと思う」ではなく、「そうだった」と書くべきだった。婉曲に書いたのが良くなかった、なんて、これはどうでもいい事。
「階級」を他の皆はどう料理したかというと、Kさんはボーイスカウトについて、ほかの人は将棋だとか、宝塚とか、華族制とかについて書いていて、世の中にはいろいろな階級があるものだと感心した。ついでに言うと、文章教室では、常にそういう人間の多様性の印象を抱かされ、それが私にとっての教室の魅力の一つであった。
映画「蟹工船」9-7-16
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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みんな同じとは限らない、年齢の層もあって、直にたずさわっていなければ、感じることがないのであって、聞いて知ることを覚えて知識が増す、そういう思いで文章教室に憧れます。
本当にいろいろな人の意見や経験が聞けたあの教室が懐かしいです。