goo

「貴族の巣」

1858 ツルゲーネフ著 米川正夫訳 角川文庫 1951初刊 1971五版)

妻の裏切りに苦汁をなめ、西欧での生活を切り上げ帰国した主人公ラヴレーツキーは、ふと出会った若い娘リーザに好意を抱く。妻の死を雑誌で知り、娘に求愛し、受入れられるが、直後に妻が姿を表わし(誤報だったのだ)復権をせまる。というよくある話に見えるが、娘が風変りでロシア特有の篤い宗教心をもつ点がユニークといえばユニーク。訳者は彼女を「優しくつつましい性格の裏に、なみなみならぬ意力と独立不羈の精神を蔵している」と称賛。妻の名ヴァルヴァーラは、著者の母と同じである。

このひと月位、ツルゲーネフを読んでいた。かれには、以前からなんとなく親しみを感じていたが、それにはやはりわけがあったようだ。大勢の農奴を持っていた両親はエゴイストで激しい性格であったこと、ロシアの暗い後進的な社会を嫌ってヨーロッパで大半を過ごしたこと、家庭に恵まれぬさびしい晩年だったことが米川正夫の解説にある。随分思い切ったことを子供向け(世界少年少女文学全集、創元社)に書いたものだ。そうしてみると、親が財産を残して早死にし、18歳で自由気ままな人生を手に入れ、晩年、何かとごたごたはあっても一応は子沢山に恵まれたトルストイとは対照的だが、わたしと親・国・家族との関係は、どちらかというと前者に近い。親近感を抱く由縁だろうか。

この映画は1969年制作、コンチャロフ監督・イリーナ・クプチェンコ主演。私は1970年・87年・93年の3回見ている。初回は鹿児島市ナポリ座で当時25歳。日記によれば……

1970年10月4日 

「貴族の巣」を見る。「悪霊」で散々ドストエフスキーにからかわれたツルゲーネフの原作らしく、詩的で田園美に溢れている。今ごろこういう作品が作られるとは、ソ連がいかに余裕のある状態になったかということを証明しているようでもある。処女のような感受性を持った一人の内向的な中年貴族の、ゆううつな心の眼に映し出された田園描写で、徹底的に社会性を欠いているようだ。リーズの如き少女は女性に書かせれば絶対生まれ得ないだろう。こういう少女の実在を信じるとは、どれほどツルゲーネフの異性観察が皮相的なものだったかを示していると思う。私の十六七才の頃ならあるいは夢見たかも知れぬ、こういう恋愛。人間ではなく類型の恋愛。

~~~~~~~~~~~~~~~

 皮肉と嫌味たっぷり。当時は学生運動が盛んで映画や文学にも「社会性」は求められたが、人生経験の少ない人間の偏狭と視野狭窄が窺われる。

→「初恋」21-9-21

→「無援の抒情」13-10-9

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 早乙女勝元さ... 「父と子」 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。