1997 講談社(初出 1959 週刊女性自身連載)
著者 藤原審爾
今村昌平の映画の原作を確かめて見たくて手に取った。
【お話】官吏の夫と幼い男子ひとりのある主婦が家族の留守に、押入った強盗にはずみでレイプされ、夫に打明けないうちに、男に付きまとわれ、関係を強要され、思い余って男への殺意を抱き始める……。
当り前だが、原作は映画とはまるで違うということが分った。
映画の舞台は東北地方で、なまりの強い言葉をしゃべるが、原作は東京で、国電とか吉祥寺などと言う地名も出る。
このヒロインは、幼い時戦災にあって家族を失い天涯孤独、学校にも行けず、夫と比べ無知であることに引け目を抱いているのは映画と一緒だが、夫は出世も有り得る官吏で、映画のように大学図書館の職員という微妙な身分ではない。
作者は、ヒロインに寄り添ってその細かい心理を同情的に描いている
また、犯人に関しても、少し同情的であり、全然共感していないのは夫とその母親に対してだけだ。
社会の下積みになっている弱者への優しい眼差しが感じられて、映画のような不快感はない。
元々短編の名手とのことで、好評につき連載が長引いて長編になったそうだ。「罪な女」1952は直木賞を受賞しており、こちらもまた夜霧に濡れた逢引のようなしんみりした情緒的な短編だ。
余計なことだが、女優の藤真利子は彼の娘で、父娘の逸話にも彼の人間的優しさを感じる。
一方、今村昌平の「赤い殺意」1964
この映画を見たことは私にとって悪夢のようで、想い出したくもない経験だ。
何がと言ってヒロインの春川ますみが無知で無神経、肥満体でふてくされた表情、まったく可愛げがない。(まあ、こういうのが可愛いという方もいらっしゃるかも知れない)
また彼女の住む貧乏たらしい環境とか、他の登場人物もことごとく性悪だったり利己的で醜悪、見ていると人生は絶望的に思える。評価して2.5点。
こうした人をげっそりさせるような描写はすべて今村昌平と言う作家から生じているらしい。
今村昌平(1925-2006)の作風はどこから来ているのだろうか。佐藤忠男の「映画監督たちの肖像 日本の巨匠10人の軌跡」2009 NHKブックス によると彼は生れも育ちも東京、父親は医者、東京高等師範学校付属中、早稲田大学と、「典型的なまでに都会的中産階級のインテリ家庭」に育っている。なぜ、それがと佐藤が聞くと、小学校の受持ちの先生から、
「君たちのような都会っ子は田舎の逞しい子らに負けるぞ」と繰り返し言われたのを「本気にした」とのことだ。
それ程にも繊細な臆病な優等生だったわけで、都会人の優越感に裏打ちされた農村尊重の映画を世に送り続け、本当の田舎者からは嫌われるほどになったのを見ると、担任の先生の影響は、恐ろしいものだと感じる。
今村昌平
→「競輪上人行状記」14-5-12
→「復讐するは我にあり」12-10-29
藤原審爾
→「ある殺し屋」14-6-4
→「泥だらけの純情」9-10-26
→「喜劇・女は男のふるさとヨ」13-10-30