映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
「『アララギ終刊』で考えたこと」
すっかり変色した新聞の切抜きが、23年前の家計簿のなかから見つかった。スクラップブックの代用に、当時は、こんな場所を使っていたらしい。
1997年3月31日(月)毎日詩歌欄「うたの現在」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「アララギ終刊」で考えたこと 岡井隆
「アララギ」が本年中に終刊するという。少年のころから「アララギ」をほぼ絶対的な価値として教え込まれた私は、自分の育った母郷のなくなるような寂しさを覚えるが、私情を離れて、ここに至った経緯を推測してみたい。
伝えられる「解散の理由」のうち、土屋文明の死去(1990年12月)を除けば、中心歌人の高齢化と若手育成の困難の二つは、現代短歌が直面している難問であって、個々の結社のかかえ込んでいる状況を超えている。短歌そのものが、今しずかに滅びようとしているのであるから、大「アララギ」といえども、その運命にしたがって終焉を迎える外ないのである。潔い態度といえるのだ。短歌は、型(かた)の習得のため五年十年を要する伝統文芸である。それも十代二十代の年少の時から、いわゆる歌好きになって熱中しないと習熟しないし、本当の面白さがわからないのが通例である。そういう文芸を誇りをもって作るためには、①伝統的民族的な文化の尊重、②古来伝えられた日本語への愛情が基礎になければならないが、敗戦後の日本にはこの両者が欠けていた。戦争に負け外国に占領されるとは、そういうことなのであった。「幼な児の語調も変りくるといふにいかに守らむこの日本語を」(文明)と、心ある先人は憂えたが、第二芸術論と誤れる国語改革は、アメリカ文化の浸透と共に、短歌の生育する土壌を変えてしまった。私なども、そのことに気付くのはきわめて遅く、今ごろになって口惜しい思いをしている始末だ。「アララギ」が歴史的仮名遣いを固持して来たのは正しい態度だったが、教育界とマスメディアが新仮名と当用漢字を一般化してしまった以上、衆寡敵せずである。
「アララギ」は、もともと少数のエリート(もの好き、といってもいい)の結社で、「少数にて常に少数にてありしかばひとつ心を保ち来にけり」(文明)と歌われた通りである。近代文学そのものが本来、少数者が、深い伝統的教養を共有しつつ社会の片隅でひそかにとり行なう祭儀のようなものだ。つまり時代遅れの保守的な体質を持つ。いま文学の地盤沈下が言われるが、文化の大衆化は、もともと文学の体質に反するのである。
「アララギ」が築いた写生の理論。万葉集復興の文献。時代に即応した機敏な作品群。それら近代短歌の宝物を、私は静かに賞玩しながら、短歌そのものの<秋>を愛惜しつつこれからの歳月を過ごそうと思う。(おかい・たかし=歌人)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アララギとか土屋文明とかきくと、反射的に両親を思う。父が20代からの熱心な会員で、母によると新婚そうそう、家で歌会が開かれた。それから50年近く、80歳で死ぬ直前も、病床で最新号のアララギを父は読んでいた。その5年後、土屋文明の死で母は「殉死の気持で」作歌をやめようとかんがえた。
だから、この一文は私によそごととは思えない。
岡井隆氏は、父君がアララギの地方での指導者で「絶対的な価値として教え」られた部分は私にもおぼえがある。そして岡井氏の歌作歴は転石苔を生じずということわざがぴったりくるような変転の連続である。10代でアララギに参加の数年後には「未来」の創刊に走り、左傾・革命志向から晩年には勲章をもらい宮中歌会選者になるなど、振れ幅が大きすぎる。
私の父は愚直にアララギ本流を生涯貫いて、口癖のように、「アララギを離れて行った歌人」がいかなる末路をたどるかを、半分は自分に言い聞かせるように批判していた。(女性にしても岡井氏のように3人も4人も遍歴せず妻一本やりである。)
多分、アララギの終刊は、岡井氏には父君の世界の終わりを感じさせたのだろう。
★短歌そのものが、今しずかに滅びようとしているのであるから、大「アララギ」といえども、その運命にしたがって終焉を迎える外ないのである。潔い態度といえるのだ。
★それら近代短歌の宝物を、私は静かに賞玩しながら、短歌そのものの<秋>を愛惜しつつこれからの歳月を過ごそうと思う。
の部分はうっとりするほど美しく、まさに白鳥の歌である。
その時点ではこの通りだったのだろうが、その後「新アララギ」が発刊されたり、転石の岡井隆は、少しすると、大衆化もよしなどと言って、通信講座を受け持ったり、皇室の歌の指導者になったりしたのだろうか。
★十代二十代の年少の時から、いわゆる歌好きになって熱中しないと習熟しないし、本当の面白さがわからない★「アララギ」は、もともと少数のエリート(もの好き、といってもいい)の結社で★近代文学そのものが本来、少数者が、深い伝統的教養を共有しつつ社会の片隅でひそかにとり行なう祭儀のようなものだ。つまり時代遅れの保守的な体質を持つ。いま文学の地盤沈下が言われるが、文化の大衆化は、もともと文学の体質に反するのである。
などという気難しい態度では、民間から皇室に入った妃殿下を指導するにはふさわしくないと思うしカルチュアセンターの指導者にもまたしかり。知的に優れているとはこういうことであるのかとも思う。
父の作歌態度は誠実で熱心で、情熱的にエネルギーの大半をそれに注ぎ「医業が2割、歌作が8割」などといわれた。それは岡井氏のような、知的な態度とは正反対である。このそれ自体あまりにも魅惑的なコラムを書いた岡井氏から目を転じ父を見ると、痛々しいまでの純粋さに涙がこぼれるほどだ。
« 「生きる希望」 | ユリノキ(百... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |