映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
映画「チェイシング・エイミー」

上からベン・アフレック、ジェイソン・リー、ジョーイ・ローレン・アダムス
1997 米 113分 レンタルDVDにて 監督 ケヴィン・スミス 出演 ベン・アフレック ジェイソン・リー ジョーイ・ローレン・アダムス
ひとりの女性と出会い、交際し、喧嘩し、別れ、思い出すことにより、初めは世間の常識から一歩も出なかったホールデン(ベン・アフレック)が学び、成長して、人生の次の段階に進む。そう聞くとよくある話のようだが、その女性が性的少数者である点がこの映画の特色だろうか。
彼女アリッサ(J.L.アダムス)は、はじめ陽気でエネルギッシュなどこにでもいる若い女性に見えるのだが、レズビアンであることが発覚、それどころか、男性とも様々な経験をつんできたことが、わかって来る。様々な「悪い」噂を聞きつけてはあんな女とは別れるように口うるさく忠告するバンキー(ジェイソン・リー)は20年来の親友なのだが、これほど嫉妬するのは、きっとGAYなんだ、と突然悟った主人公は、3人すべてが幸せになるための秘策を思いつくのだが……。
第2の特色は、3人の主役が漫画家であることだ。最初と最後に出てくるマンハッタンのコミック・フェアでは、アメリカのコミック業界のようすが垣間見える。特に作家のファンに対する嫌悪感がたびたび表明されていておかしい。思い出すのが、松浦理英子原作の邦画「ナチュラル・ウーマン」1994年で、漫画サークルの同人たちの同性愛関係を描いており、あるいはこの映画に影響を与えているかもしれない。
ヒロインは多くの点で私と似ていた。たとえば、両親を見て男女関係の理想がわからず、規範に反抗するためにあえて常識に逆う行動をする、例えばスポーツ見物ではあえてビジターつまり敵を応援することなど。外見はそのへんによくいる女性のようでレズビアンには見えない。その点ではむしろ、周囲のレズビアンたちが、誰も彼も魅力的に見えた。4人目の人物は、GAYの女役のフーパーで「少数派中の少数派」と自称している黒人で、彼のコメントは一々面白い。またジェイソン・リーが、マリナーズのイチローにそっくりなのには驚いた。
語られる言葉は過激だが、実際の性行為は表現されていない。この作品は性の社会教育に役に立つかもしれない。特に最後にホールデンが描くマンガ「チェイシング・エイミー」は、表紙にヒロインが大きく女神のように描かれていて、西欧の女性崇拝の伝統が感じられた。かすかな哀愁の漂うラストは、いかにも青春映画らしい後味だ。
時々、ウディ・アレンの「アニー・ホール」を思い出した。突然、他人が会話に割り込むとか、失恋を芸術の力で償うラストなど。(ケヴィン・スミス監督は主演女優と実際に交際していたらしい)
作品で人生の失望を補償できる映画監督はうらやましい限りだ。それを離れても、登場人物の人生に対する誠実さ・生真面目さはいかにもアメリカ的に思われる。形式のみを重視して内容空疎な生活を何十年でも続けられる日本人の一人としては忸怩たるものがあった。
1997 米 113分 レンタルDVDにて 監督 ケヴィン・スミス 出演 ベン・アフレック ジェイソン・リー ジョーイ・ローレン・アダムス
ひとりの女性と出会い、交際し、喧嘩し、別れ、思い出すことにより、初めは世間の常識から一歩も出なかったホールデン(ベン・アフレック)が学び、成長して、人生の次の段階に進む。そう聞くとよくある話のようだが、その女性が性的少数者である点がこの映画の特色だろうか。
彼女アリッサ(J.L.アダムス)は、はじめ陽気でエネルギッシュなどこにでもいる若い女性に見えるのだが、レズビアンであることが発覚、それどころか、男性とも様々な経験をつんできたことが、わかって来る。様々な「悪い」噂を聞きつけてはあんな女とは別れるように口うるさく忠告するバンキー(ジェイソン・リー)は20年来の親友なのだが、これほど嫉妬するのは、きっとGAYなんだ、と突然悟った主人公は、3人すべてが幸せになるための秘策を思いつくのだが……。
第2の特色は、3人の主役が漫画家であることだ。最初と最後に出てくるマンハッタンのコミック・フェアでは、アメリカのコミック業界のようすが垣間見える。特に作家のファンに対する嫌悪感がたびたび表明されていておかしい。思い出すのが、松浦理英子原作の邦画「ナチュラル・ウーマン」1994年で、漫画サークルの同人たちの同性愛関係を描いており、あるいはこの映画に影響を与えているかもしれない。
ヒロインは多くの点で私と似ていた。たとえば、両親を見て男女関係の理想がわからず、規範に反抗するためにあえて常識に逆う行動をする、例えばスポーツ見物ではあえてビジターつまり敵を応援することなど。外見はそのへんによくいる女性のようでレズビアンには見えない。その点ではむしろ、周囲のレズビアンたちが、誰も彼も魅力的に見えた。4人目の人物は、GAYの女役のフーパーで「少数派中の少数派」と自称している黒人で、彼のコメントは一々面白い。またジェイソン・リーが、マリナーズのイチローにそっくりなのには驚いた。
語られる言葉は過激だが、実際の性行為は表現されていない。この作品は性の社会教育に役に立つかもしれない。特に最後にホールデンが描くマンガ「チェイシング・エイミー」は、表紙にヒロインが大きく女神のように描かれていて、西欧の女性崇拝の伝統が感じられた。かすかな哀愁の漂うラストは、いかにも青春映画らしい後味だ。
時々、ウディ・アレンの「アニー・ホール」を思い出した。突然、他人が会話に割り込むとか、失恋を芸術の力で償うラストなど。(ケヴィン・スミス監督は主演女優と実際に交際していたらしい)
作品で人生の失望を補償できる映画監督はうらやましい限りだ。それを離れても、登場人物の人生に対する誠実さ・生真面目さはいかにもアメリカ的に思われる。形式のみを重視して内容空疎な生活を何十年でも続けられる日本人の一人としては忸怩たるものがあった。
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