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「旅の途中で」

「再会」という課題で5年前に書いたもの。八木先生が相手の男性について「男前やったんやろな」とふっと言われたが、その点はあまり記憶が無い。多分めざましい美貌ではないが、食事の時に近くにいても食欲が落ちない程度の、こざっぱりした「草食系」男子だったのだろう。関節炎になったのだから細いアゴの未来型の顔立ちであることは間違いない。どうでもいいことだが。

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        旅の途中で    (2006-06-07)       
                 
 ずしりと重い感動的なもの、そうでもないもの、再会にもいろいろあるが、いま私の語ろうとするのは、軽いほうのそれである。

私が三十九歳の秋、二十年以上前になるが、成田からパリへの飛行機の中で、隣の席には若い、たぶん三十歳をちょっと出たくらいの男性が座っていた。どちらも出発までの疲れがたまっていたのか、眠ってばかりいて、話はしなかった。ただ、彼が黒いオーバーを着ていて、カメラの類を色々持っていたことは記憶に残った。

パリの北駅を出発し、鉄道と船でドイツや北欧を回って、三週間後の帰国の日、シャルルドゴール空港で乗りこんだ大韓航空の機内で、またその彼を見かけた。席が離れていたので、会釈しただけで、今度も話はしなかった。

成田から京成スカイライナーで日暮里に出た。すると、そこでまた彼と会った。さすがに二人とも驚いて、山手線の電車の長い座席にならんで座った。彼はパリで古着を買ったとか、フランスパンが固いので、あごが開かなくなった、これからホネつぎ医者に行くつもりだ、等と言っていた。この分ではまたどこかで会うだろうと言って、お互いに名前も聞かずに、彼は池袋で降り、私は新宿から吉祥寺へ向かった。

あれから二十数年、フランスパンを食べる度に彼が思い出される。ただ、旅の途中ではあれほどよく会ったのに、その後、二度と会うこともないのである。

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八木先生は「いやいや、まだ先は長いですから、会わないとも限りませんよ。人生、何があるか、知れたものではありません」と冗談半分に書いておられるが、この5年間、一向に会わないだけでなく、フランスパンを食べる機会自体が少なくなったこともあり、滅多に思い出さなくなった。文章に書いてしまったせいだろうか。甘美な記憶はそっと胸に秘めておくべきだったのか。「マジソン郡の橋」のフランチェスカのように!?(冗談です)

→「再会」08-11-18
→「認知症の始まりか?」11-4-25
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (K.sakaguchi)
2011-04-21 15:21:09
「再会」のシチュエーションが素敵ですよねえ。パリの北駅ですって。うらやましい! こんなに何回も会えば私だったらシンクロニシティだっ、と思うところです。どうして名前聞かなかったの?もう結婚してたんでしたか?
 
 
 
Unknown (Bianca)
2011-04-23 06:51:47
K.Sakaguchiさま
コメント有難うございます。正にその通りで、この文の主役は地名ではないかと思います。私は既婚者だったし、たとい未婚でも相手がアゴが開かないのではこれ以上の発展はありえませんよ。それより彼を題材にした文が何十年後かに書ける方を選んだのね。
 
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