とし子さんは90歳代、女性。大柄でふっくらとしたお婆さん。眼鏡の奥の瞳は小さくて、笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
とし子さんは若い頃、東京のカフェで働いていたそうだ。そこで、ご主人と知り合い結婚し、二人の娘さんを授かった。しばらくは一家四人で幸せに暮らしていたが、ご主人は肺病を患ってしまう。療養するも回復せず残念なことに、ご主人は早逝してしまった。
若くして、二人の子どもを抱えた未亡人となってしまったとし子さんだが、自身の実家には頼れない事情があった。それで、途方に暮れていたところ、亡くなったご主人のお母さん、とし子さんにとってはお姑さんにあたる人から、同居の申し入れがあった。とし子さんにすれば、渡りに船。思い切って、亡きご主人の故郷である見知らぬ土地へやって来た。
お姑さんは地域では、顔の利く人だったらしく、とし子さんにすぐ、銀行員の仕事を紹介してくれた。内勤の仕事だけではなく、外交の仕事もあり、それがなかなか厳しいものだった。それでも、子ども達を一人前にしなければ…という思いを胸に懸命に働いた。
にも関わらず、子どもさん達との縁は薄かった。長女さんは地元の名門校に入学したが、卒業前に川に身を投げて死んでしまった。もう一人の娘さんとも、何らかの心のすれ違いが生じたらしく、今は音信不通となっている。
とし子さんに「再婚をしたいと思ったことはないの?」と聞いてみると、「好きな人はいたよ。でも、奥さんのいる人だったからねぇ、どうしようもないわ」と俯いた。
とし子さんは、東京マラソン等のテレビ中継を見るのが好きだった。「マラソン、おもしろい?」と私が聞くと、「うん。東京の街並みが映るやろ、ああ、なんかここ見覚えあるなぁ…とか思い出すのよ。すっかり変わってる場所が多いけどなぁ…」と笑顔で答えてくれた。やっぱり、ご主人と過ごした東京での思い出は、とし子さんには特別なものなのだろう。
とし子さんはお家におられた時、よく一人で電車に乗って、隣り町までお出掛けをしたと話してくれた。とし子さんは足腰が弱くシルバーカーを使用していたので、私は少し驚いたが、とし子さん曰く、最寄り駅が自宅のすぐ側にあり、段差もほとんどないから、意外と簡単に行けたそうだ。
駅ビルにショッピング街があるそうで、いつも行くおうどん屋さんで一杯のおうどんを食べて、ベンチに座って道行く人々を眺めたりしながら少し時間を過ごし、それからまた、来た道を各駅電車で帰ってくる。何でもないそんな一日がとても楽しかったと話してくれた。
流れゆく車窓の景色を見つめながら、とし子さんは何を思っていたのだろう。