八重さんは、当時80歳代、女性。
当時というのは、私が20歳前半のころのことだから。私は金融関系の仕事をやめ、思うところあって老人介護の仕事に就いた。まだ、介護という言葉さえ、あまり一般的ではなかった時代だ。研修に行った特養老人ホームでは、介護士のことを「寮母さん」と呼んでいた。
私は先の記事に書いた通り、親との関係性の中で、今頃よく言われる、自尊心や自己肯定感というものが、上手く育っていないことに気付き始めていた。何をやっても空回りするような、行き詰まるような感じ。外見的なことではなく、もっと内面的な問題。世はバブルを謳歌している最中、私は世に背を向けた。
八重さんのことを思い出したのは、先日、統一地方選挙があったからだ。
八重さんは、瞳の大きい綺麗な顔をした女性だった。大人しくて、無口。身体の麻痺はないが、アルツハイマー型の認知症ではあった。
たまたま昔、ご近所に住んでいた人が一緒に入居しておられて、時々、八重さんの陰口を言った。「あの人は、何やらいう…相撲取りの4号さんや」と。2号でも、3号でもなく、わざわざ4号さんと呼ぶところに、その人の意地悪な気持ちを感じた。
八重さんには、子どもさんはいなくて、訪ねてくる姪御さんが一人いた。でも、訪ねてくるのは、選挙の前に限る。認知症の八重さんに公◯党の候補者の名前を何度も練習させ、それから選挙会場に連れて行くのだ。大人しい八重さんは、言われるがまま。
そんな八重さんは、外出援助で近くの神社に出掛けた時、天を見上げ、日の光をじっと見つめていた。それから、少しよろけて倒れそうになった。私は、慌てて支えたことを覚えている。
八重さんは子ども時代から、昔、遊郭があった場所で、暮らしていた。はじめから、そういう場所に生まれ落ちたのなら、人生の選択肢も限られていただろう。
八重さんはモダン柄の和風コートを羽織って、佇んでいた。まるで、竹久夢二に描かれた美人画のように儚かった。