吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

家族の写真

2009年06月30日 | 思うこと
今日は、仕事の合間に、岡谷へリードオルガンを引き取りに行きました。
このオルガンは修復後、八ヶ岳リードオルガン美術館へ行くことになっています。

オルガンを車に積み込んだあと、所有者の方としばらくお話をしました。
リードオルガン美術館の活動が長野日報に載ったのをご覧になって、リードオルガン美術館に寄付されることを思い立たれたそうです。

保証書は大正13年の日付で、いわゆるワン・オーナー。出自のはっきりした楽器です。
そのお宅のおばあさんのために曾おじいさんが買ったものだそうです。
資料として、そのお宅のお祖母さんのお写真、晩年のものと、子供時代の家族写真、曾おじいさんの若かりし頃のお写真を預かりました。

曾おじいさんのお写真は、りりしい騎馬姿です。まだ幼さの残る表情です。
日露戦争の後の頃の撮影だそうで、千葉の習志野から馬に乗って岡谷に帰って来られたそうです。

習志野の騎兵旅団!それは僕にとっても忘れがたい思い出の地です。

僕の高校は、その騎兵旅団の跡地にあったのです。
騎兵旅団自体は、昭和にはすでに外地に移転していて、そこは恐怖の陸軍習志野学校になっていたのですが。
僕の在学中には、まだ戦前の建物がいくつか残っていました。
明治34年頃(1901年)の建築だそうですので、日露戦争時にはすでに存在したのですね。

僕の高校でのアジトは、科学部SF班の部室で、これは、正式には第二体育館、一部生徒には部室長屋と呼ばれた建物にありました。
この建物は、騎兵第二旅団の第一厩の中を仕切って部屋を作ったものです。
かなり放任主義な学校だったので、僕もよく無断で部室に泊まったりしたものです。
教室に居場所を見つけられなかった僕はそこが好きでした。
元馬小屋ゆえ、出入り口は建物の端にしかなく、一番奥にあった科学部SF班の部室への出入りはもっぱら窓からでした。
窓から出るとき、古釘に引っかかって制服をかぎ裂きにしてしまったこともあったっけ。

その曾おじいさんが、騎兵として青春を過ごしたその場所で、時代を越えて僕も青春を過ごしたのです。
同じ建物で過ごしたことがあるかもしれません。
感慨深いものがありますね。

家族写真は、その曾おじいさんが岡谷で穀物商を営んでいた頃の店の従業員と、まだ少女だったおばあさん(3年前に87歳で他界)も写っていました。みんなとびきりの笑顔です。本当に!
大正か昭和の始めでしょうが、その頃は記念写真はとても特別なものだったのでしょう。まだ少女のおばあさんだけ洋装です。

僕もデジカメで、撮り捨てるように写真を撮っています。
自分が写るのはあまり好きではないので、自分の写真は少ないです。
このブログにはしばしば自分の写真をネタとして上げてますけど、これは、肖像権、著作権に抵触しないというメリットだけでやってるのですよ。
ううむ、アホな写真ばかりが残ってしまう…。

要所要所で記念写真を撮っておくというのは、とても良いことかもしれません。今まで意識しなかったのですけど。
大切な人達との大切なひとときを簡単に記録出来るって、改めて考えてみるとすごいことですよね。

時々は、家族や友達と記念写真を撮ろうかな。

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