学校の怖い話というのは、よくあるネタです。
さて、僕の高校にも怖い話はありました。
明治からの旧軍の建物も残っていたので、当然、その手の話はありました。
僕は、その古い建物によく泊まった割には、怖い思いはしていないのですが。
前回書きましたが、僕の高校は、旧陸軍習志野学校の跡地にあります。
陸軍習志野学校
冗談抜きで恐ろしい施設です。
国際法違反の毒ガス戦研究所です。
人体実験はしていないということですが、実際に毒ガスを使った演習はしているそうで、それなりの被害者は出ているようです。
学校の伝説として謎の地下室伝説もありました。
実は、この伝説は2004~05年に確認されたのです。
毒物の隠蔽疑惑があったため、国による発掘調査が行われたのです。
謎の地下室は実在しました。毒物は発見されなかったそうですけど。
やはり同校敷地にある自衛隊習志野演習場では現在も調査中だそうです。
戦時中の日本の黒歴史の上で、僕らはのどかな、あまりにのどかな日々を過ごしていたのです。
戦争という一大事業においては、実際の戦闘行為はまさに氷山の一角というべきで、その背後には、社会構造、教育による人心改変を始めとする実に多くの恐ろしくも深い事柄があります。
記録や歴史には残らない色々なことがあるものです。
そのときは仕方ないとか、当然だと思ってした行為でも、後になるとやっぱりマズかったとか、本当は悪いことだと気付いたとき、人はその過去を隠そうとするものです。
戦時中の毒物研究のエラいさんたちは、その研究成果を戦勝国に提供することで、罪を免れたばかりか、その後も医学界の重鎮として君臨したのです。それがこの黒歴史の発覚を妨げてきたのです。
最近になってから調査が行われるようになったのは、それらの人々が世を去ってその影響力が弱まるのを待たなければならなかったという事情があるのです。
歴史って、結構、後から作られるものであったりします。
別にそれは日本に限ったことではなく、どこの国でも、いつも自国は正しく他国が悪いという歴史を持ちたがるものです。
歴史というかなりの主観、あいまいさを含むもののみならず、客観的なものの代表であるような科学の分野でさえ、政治や組織の利害関係からは自由ではありません。
国益に繋がりそうな研究と、すぐには役に立ちそうもない研究が等しく助成を受けるということはありません。
歴史も科学も政治が絡んでいる以上、鵜呑みは厳禁です。
とりあえず認めてもどこかで疑うことを忘れてはいけないのです。
それから、歴史や科学に善悪の感覚を持ち込むのも良いことではありません。
安易に~が良い悪い、とすることは、真実の探求の放棄です。
「何故、どうして」
という面倒で簡単には結論の出ない考え方から手を離してはいけないのです。
さて、僕の高校にも怖い話はありました。
明治からの旧軍の建物も残っていたので、当然、その手の話はありました。
僕は、その古い建物によく泊まった割には、怖い思いはしていないのですが。
前回書きましたが、僕の高校は、旧陸軍習志野学校の跡地にあります。
陸軍習志野学校
冗談抜きで恐ろしい施設です。
国際法違反の毒ガス戦研究所です。
人体実験はしていないということですが、実際に毒ガスを使った演習はしているそうで、それなりの被害者は出ているようです。
学校の伝説として謎の地下室伝説もありました。
実は、この伝説は2004~05年に確認されたのです。
毒物の隠蔽疑惑があったため、国による発掘調査が行われたのです。
謎の地下室は実在しました。毒物は発見されなかったそうですけど。
やはり同校敷地にある自衛隊習志野演習場では現在も調査中だそうです。
戦時中の日本の黒歴史の上で、僕らはのどかな、あまりにのどかな日々を過ごしていたのです。
戦争という一大事業においては、実際の戦闘行為はまさに氷山の一角というべきで、その背後には、社会構造、教育による人心改変を始めとする実に多くの恐ろしくも深い事柄があります。
記録や歴史には残らない色々なことがあるものです。
そのときは仕方ないとか、当然だと思ってした行為でも、後になるとやっぱりマズかったとか、本当は悪いことだと気付いたとき、人はその過去を隠そうとするものです。
戦時中の毒物研究のエラいさんたちは、その研究成果を戦勝国に提供することで、罪を免れたばかりか、その後も医学界の重鎮として君臨したのです。それがこの黒歴史の発覚を妨げてきたのです。
最近になってから調査が行われるようになったのは、それらの人々が世を去ってその影響力が弱まるのを待たなければならなかったという事情があるのです。
歴史って、結構、後から作られるものであったりします。
別にそれは日本に限ったことではなく、どこの国でも、いつも自国は正しく他国が悪いという歴史を持ちたがるものです。
歴史というかなりの主観、あいまいさを含むもののみならず、客観的なものの代表であるような科学の分野でさえ、政治や組織の利害関係からは自由ではありません。
国益に繋がりそうな研究と、すぐには役に立ちそうもない研究が等しく助成を受けるということはありません。
歴史も科学も政治が絡んでいる以上、鵜呑みは厳禁です。
とりあえず認めてもどこかで疑うことを忘れてはいけないのです。
それから、歴史や科学に善悪の感覚を持ち込むのも良いことではありません。
安易に~が良い悪い、とすることは、真実の探求の放棄です。
「何故、どうして」
という面倒で簡単には結論の出ない考え方から手を離してはいけないのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます