小学生の頃から自分は一人で生きていかなければならないと思ってた。
父も母もそう言ってたし、姉弟に迷惑はかけられないと思っていた。
そのためには何か技術を身に付けないと。
好きなのは外科医。自動車の整備士。あと、なんでもいいから科学者。
自分の学力で努力せずに行けるのが地元の国立の大学の理学部だと思った。
家の経済状況を考えてもそれしかなかった。
当時、国立大学の授業料は半期6000円だった。
でも、私にとって最重要なのは「努力せずに」という点だった。
働きたくないから国立大学の理学部に通ったのをいい事にして、修士課程まで進んだ。
奨学金ももらえたから実家に迷惑はかけてない。
社会に出ることは嫌だった。
知らない人と話すのは苦痛でしかなかったから。
面接とか絶対嫌だった。
好きな事をダラダラと自分のペースでやっていけるのが好きなんだ。
論文書く時だけ、しんどかったなぁ。。。
まぁ、何度もあるわけじゃないし、死ぬ気で頑張ればなんとかなるって事も分かったし。
いい経験だったと思う。
この虫さんを調べてたの。
年2回孵化するし身近にいるし生態学的に調べやすかったから。
それにかわいいし。蛾の仲間なんだけど、綺麗でしょ。
マサキという木の葉っぱしか食べないの。
マサキは春にとっても鮮やかな緑の葉をつける常緑樹で、そこら中の家の垣根になっていた。
だから見つけるのも簡単だった。
ユウマダラちゃん元気かなぁ。。。
(途中省略)書きたくない事もあるからね。
そのうち、同級生で四国からきたよく知りもしない(彼の家族とかの事を)人と何故か結婚してしまった。
そのせいで、科学者になることは諦めざるを得なかった。
彼の方がタフだったから。体力面でも精神面でも。
私はヘタレだったので、彼の希望(お魚の研究だった)を優先した。
専攻分野が野外調査が必要な分野だったので、私はすぐ諦めた。
私の方がペーパーテストでは優秀だったけど、根性は全くなかった。体力も。
それに彼といるとめっちゃ楽しかったし。
趣味が似てた。
考え方が似てた、とか。
「なんとかなる」でここまできたような気がする。
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今日はここまで。
続きはあるような無いような。。。
またタイトルと内容がずれてきてしまった。
なんとか軌道修正しなければ・・・。
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