元亀3年7月19日、信長は小谷城攻めのため岐阜を出陣した。主立った部将のほとんどが動員されており、総勢5万余の大軍だった。20日に横山城に入った信長軍は、小谷城の南方わずか2キロメートルの地点にある虎御前山に付城を築いて、小谷城総攻撃の態勢を整えた。
7月28日、朝倉義景率いる1万余の大軍が越前から近江に入ってきた。朝倉軍は小谷城の後方に位置する大嶽と呼ばれる高山に上って陣を布くのみだった。
(中略)
またも小谷城を落とすことができなかった信長は9月16日、小谷の囲みを解いて、横山城に軍を納めた。
(参考文献:谷口克広『信長と将軍義昭』)
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