TOY VOX

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ワーテルロー 21

2021-03-17 00:56:10 |  ナポレオニック
おすすめのNAWプリント&プレイのページ。

第1ターンフランス軍戦闘フェイズ


フランス軍の右翼はイギリス軍陣地へ突撃を敢行した。イギリス軍各部隊の戦力は左端(ヘクス1310)から6、3、6、5、7、3である。

たとえば左から5つまではすべて戦力比1:1、最後の1か所(ヘクス1707)だけが戦力比1:2となるように組み合わせてみる。「フランス軍:イギリス軍」の内訳は以下のとおり。

(ヘクス1310)4+5 : 3×2
(ヘクス1409)4 : 3
(ヘクス1509)4+3 : 6
(ヘクス1608)5 : 5
(ヘクス1708)4+4 : 7
(ヘクス1707)2 : 3

不利な戦力比のヘクス1707へあえて攻撃をしかけた理由。

いまヘクス1807にフランス軍ユニットがあり、ついで3/6(50%)の確率で1608へフランス軍ユニットが進出すれば、さらに3/6(50%)の確率で1708にある7戦力のイギリス軍ユニットを除去できる(敵と隣接するヘクスへは撤退できない)。

つまり1707へ攻撃をしかけることによりフランス軍プレイヤーは25%の確率で7ポイントを得ることができ、しなければただたんに敵が後退するだけである。

したがってここの部分の戦闘は1608、1708、1707の順で解決されなければならない。こうしたパズル的要素がNAWの好き嫌いが分かれるところだろう。
 

 
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ワーテルロー 20

2021-03-16 07:04:31 |  ナポレオニック
 勝利条件。先に敵のユニットを40戦力分取りのぞいたプレイヤーが勝者となる。

 手順。フランス軍移動、フランス軍戦闘、イギリス軍移動、イギリス軍戦闘の順。全部で10ターンだが、たいてい5ターンまでに決着する。

第1ターン(18日13時)
フランス軍移動フェイズ開始時


 さて、1ターン目に何をすればいいのか。ふつうのウォーゲーム経験者(vox6336もふくめて)はここで戦力比1対2、あるいは1対1をきらい、このように仕掛けてしまいがちだ。


 フランス軍は砲兵8火力の援護をえて、あわせて12戦力で突出したイギリス砲兵を攻撃。しかしこの砲兵はラエイサントの建物ヘクスにいるので、✕2の地形効果で6戦力。


 戦力比は2対1となる。NAWの独特な戦闘結果表によるとサイコロの目が1〜4でDr(防御側後退)、5でEe(相互消滅)、6でAr(攻撃側後退)、つまり5/6(=83%)の確率で1ターンを無駄にしてしまうことになる。
 ここは1:2、1:1の戦闘比をおそれず、このように突撃を敢行してみよう。





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ワーテルロー 19

2021-03-15 04:10:27 |  ナポレオニック
【最近の学説】
 ナポレオンはグルーシィにプロイセン軍の追撃を命じたうえで自身はネイと合流し、こんどはイギリス軍へ主力をさしむけた。
 イギリス軍はブリュッセルから1日行程にあるモンサンジャンの丘陵地に陣をしいた。ウェリントンは「おそらくここでフランス軍をくいとめることはできないだろう(6月17日付、公爵夫人あての手紙による)」という見通しをした。

 リニー=カトルブラ間での防衛に失敗し、モンサンジャン=ワーブル間でフランス軍をむかえうつイギリス・プロイセン連合軍に勝つ見込みはあるのだろうか。

 ここで動いたのがプロイセン軍の参謀グナイゼナウだった。もともとプロイセン軍は「ナポレオンとは戦わない」というシャルンホルスト以来の方針(ライヘンバッハ・プラン)を徹底していたのだが、グナイゼナウはその方針に反しイギリス軍へ援軍を送るべきだ(ワーブルにクラウゼヴィッツをグルーシィへの抑えとしてのこして)とブリュッヒャーを説得したのである。
 こうして運命の6月18日がはじまる。




 

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ワーテルロー 18

2021-03-15 02:28:52 |  ナポレオニック
【最近の学説】
 6月15日、ナポレオンは先手をうってフランス=ベルギー国境をこえた。
 ブリュッヒャーはリニーでフランス軍をむかえうつこととし、ウェリントンは事前の打ち合わせ(5月上旬にティールモンで会合)どおりカトルブラへイギリス軍をすすめた。
 6月16日、リニーでプロイセン軍がナポレオンひきいるフランス軍に完敗した。プロイセン軍はいきおいづくフランス軍の前にほとんど何もできなかった。


 同日、カトルブラではイギリス軍がネイひきいるフランス軍にやぶれた。このときイギリス軍の主力はアメリカと戦っており(米英戦争)ベルギーにいたのは2線級の新兵ばかりだった。のこりはベルギー、オランダ、ハノーバーの寄せ集めにすぎない。ナポレオン麾下随一の猛将ネイの損害をかえりみない突撃の前にはひとたまりもなかっただろう。







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ワーテルロー 17

2021-03-14 09:25:16 |  ナポレオニック
 1815年3月20日、ナポレオンがパリに入り、ルイ18世はブリュッセルへのがれた。
 第7次対仏同盟が結成されると例によってナポレオンは先手をうち、6月15日、フランス=ベルギー国境をこえた。

【従来説】
 ウェリントンによる援軍の約束を信じリニーに布陣したプロイセン軍は6月16日、ナポレオンひきいるフランス軍の攻撃をうけ敗退。しかしフランス軍はプロイセン軍に壊滅的なダメージをあたえることができなかった。ナポレオンは元帥に昇格したばかりのグルーシィにプロイセン軍の追撃を命じた。このときの3万人はその後戦場にあらわれることはなかった。
 同日、カトルブラではウェリントンひきいるイギリス軍がネイひきいるフランス軍による猛攻をしりぞけた。しかしリニーにおけるプロイセン軍の敗退をしったウェリントンは6月17日、前線をワーテルローまでさげる決断をした。
「もしプロイセンの援軍が得られるならここで戦おう」というのである。プロイセン軍側では援軍をしぶる参謀グナイゼナウの反対(前日リニーではウェリントンが約束を守らなかったため)をブリュッヒャーが押しきった。
 こうして運命の6月18日がはじまる。

(グルーシィがとんでもない方向へ…)

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