プロイセン軍の参謀グナイゼナウがブリュッヒャー元帥の命令によって作成した報告書。
「6月18日の戦闘。われわれ(プロイセン軍)は早朝から移動を開始した。
午前10時、フランス軍は予備隊の大半をその右翼へ振り分け、モンサンジャンのイギリス軍に対してはげしい攻撃をしかけた。ナポレオンがイギリス軍とプロイセンの援軍との間を分断しようとしたことは明白である。」
「ナポレオンはかなりの大軍を継続的に前進させた。いかにイギリス軍がその陣において頑強さをしめそうとも、そうした英雄的尽力には限界があった。
午後3時、ナポレオンはパリに伝令を送り、勝利はもはや疑いがないことをつたえた。」
「午後4時半の時点で戦場に到着していたのは第4軍団のうち2個旅団のみだった。ブリュッヒャー元帥は一刻の猶予もゆるされないと判断し、2個旅団と軍団騎兵をもって敵の右翼後方へ突撃した。敵はうろたえることなく予備隊をわれわれにさしむけ、そこで殺人的な戦闘がはじまった。」
いちおう念のために言っておくが、ワーテルローの話をしている。時間も経過もぜんぜん違うけど。