以下、森谷利雄「大陸軍の光と影」(1984年、『タクテクス』13号)より抜粋。
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フランス全土が再びナポレオンを熱狂して受け入れようとしていた。当時のフランスの状況の変化は、新聞の見出しを見れば手にとるようにわかる。(同時に、新聞記者の根性というものも良くわかる)
「猛虎、檻を破る」
「悪鬼の航海は三日間」
「卑劣漢、フレジュスに上陸」
「ハゲタカ、アンチーブに達す」
「侵略者、グルノーブルに到着」
「将軍、リヨンに入城」
「ナポレオン、昨夜フォンテンヌブローで眠る」
「皇帝、今日テュイリー宮に入城の予定」
「皇帝陛下、テュイリーに入らせらる」
3月19日、ルイ18世はパリを逃れ、
「漠々として長く、愁々としてもの悲しい」(ヴィニー)道を通って、ベルギーへと向かった。
ナポレオンがパリに入ったのは、3月20日のことであった。
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The Corsican ogre has landed at Cape Juan.
しかしじっさいにはそのような新聞記事は存在しない。新聞記事ではなく検閲ではないだろうか、イギリス人がフランス語を勉強するためのテキストに載っているところをみるとイギリス政府がかかわっているのではないか、王党派あるいはイエズス会の陰謀か...研究者たちがいろいろ調べたところ、どうやら初出文献は1840年、この面白い話を創作した人物はフランスの文豪アレクサンドル・デュマであったらしい。
ああ、なるほど。『三銃士』を書いた人か。