(太融寺の本殿)
今日は暖かいので、神戸まで行こうと昼過ぎに家を出た。
阪急塚口駅に着いた時、気が変わった。
本もないし大阪・梅田の紀伊国屋に行こう、と。
1冊買ったところで、梅田界隈を散歩したくなった。
(大阪夏の陣で散った淀殿のお墓)
僕は猥雑とした大阪の街を歩くのが好きだ。
コロナ禍で遠慮してたが、もういいだろう。
まずラブホテル街の真ん中にある弘法大師縁の太融寺に行くことにした。
(北の富士と同時に横綱に昇進し大活躍したが、早世した玉の海の碑)
(北の富士と同時に横綱に昇進し大活躍したが、早世した玉の海の碑)
ここは由緒あるお寺だが、僕には別の思い出がある。
かつて、大阪読売新聞で「黒田軍団」と呼ばれる最強の大阪社会部を作った黒田清(享年69)が、やり手故に読売のドン渡辺恒雄(96)とぶつかり、読売新聞を辞めた。
今、テレビでよく見る大谷昭宏も一緒に。
(ボケないようにお祈りしました)
そして、この近くに「黒田ジャーナル」の事務所を開き、「窓友会」という会を作ったのだ。
月に1度、ここ太融寺の広間で集いを開催した。
僕は黒田の「戦争反対!差別反対!」に共鳴し、記者としての作法も学ぼうとこの会に参加、勉強した。
(ここにも芭蕉は来たのですね)
会員には黒田ファンの大阪のオバチャンが多かったが。
何年続いたか忘れたが、黒田は20年くらい前にガンで亡くなった。
僕はここで行われた葬儀に列席し、記事にもした。
懐しい思い出だ。
今日は太融寺を中心に1万歩歩いた。
北の富士さんが今も元気に解説していますので 玉の海さんは何とも若すぎるご逝去でした。
玉の海さんが亡くなったのが秋でした。
その前年か翌年の秋に 三島由紀夫事件があり
当時私は独身でしたが 好きな人が続けて逝った秋を 今もはっきり思い出します。
都会のまんまん中ですが、いいお寺ですよ。是非来てください。
お墓ではなく記念碑ですが。
そうですね。北玉時代と言われて、すぐに亡くなりましたね。惜しいことをしました。
丁度あの頃でしたね。
世の中も騒然としていた時代でした。僕もよく覚えてます😃