8月23日(土)
この日、デザイナーのMr.時広が、新潟から朝9時過ぎに宿入り。
そもそもこの宿というのが、いわば鼓童御用達(ごようたし)で、EC(アース・セレブレーション=大地あるいは地球の祝祭)期間中しか稼働しないらしい。泊り客は皆、鼓童と契約しているスタッフか、特別扱いのお客様。私の相客しかり。
その中で私だけが例外。鼓童のメンバー・小島千絵子さんの友人というだけなのである。
初日の夜は、旅館ロビーで写真スタッフたちと貴重な交流が出来た。
リーダーのシギー吉田さん(40代)は、高校時代名前の知られたラガーマン(ラグビー選手)だった人で、激しいタックルで身障者となり、リハビリの末ようやく片足以外が動かせるようになって、アメリカのオレゴン大学へ留学。卒業後カメラマンとなって、今年5月には会社を立ち上げた。社員は、やはりオレゴン大卒の若い日本人二人。皆個性的でおばさんに優しいのが特徴!それに、女性一人と東大(!)三年生の寡黙な男子が加わった計5人で、バラバラに各自の被写体やアングルを狙って写真を撮っていた。
何年か前に、シギーさんが個人的に鼓童に興味を持ち、許可を得て写真を撮らせてもらったが、その素晴らしい技術とセンスに鼓童側が惚れて、次からは契約写真家になったという。
時さんに言わせると、簡単に「ポートレート撮って」などと言える写真家ではないらしいのだが、実はチャッカリ撮って頂いた。
今私は、その写真が送られてくるのを心待ちにしているのだ。
彼らは毎晩遅くに帰ってきて、玄関脇のロビーでくつろぎ、島に1軒だけ出来たらしいコンビニで買ったおにぎりやつまみでビールを飲み、お疲れさん会をしていた。
EC初日の昨日、私はロビーにしかないテレビで、映りの悪い砂嵐画面のオリンピックに見入っていた。彼らはそんな私に気を使ってビールを勧めてくれ、男子400メートル・リレーの大金星(銅メダル)の瞬間には、一緒に喜んでくれた。
彼らとは様々な会場で会った。シギーさんは松葉杖を片手に、しゃがんだり、台に上ったり、寝転んだりしながらベスト・ショットを狙う。そのため右肘には、体を支える大きなタコがあり、コンクリートにこすれて血が滲(にじ)んでいた。私にはそれが、リハビリを乗り越え、異国で心身と技術を鍛えた男の証に見えたものだ。
彼は、ものの本質を捉える深い目をしている。他のスタッフもみな、自由奔放で優しく素朴な人たちだった。
さて、二日目はあいにくの霧雨。
その雨の中、神社境内で観た岩手の獅子踊り(金津流梁川獅子躍)は、生涯忘れられないだろう。
お腹にくくりつけた小太鼓を叩きながら参道を進んで来た彼らの威厳ある姿は、まるで時の彼方からタイムスリップしてきたかの様だった。私は鳥肌が立ち、思わず感動で目が潤んだ。
その装束に沁み込んだ歴史の風格。
刻まれる太鼓のリズムからも、次第に変わるフォーメーション(全体の形)からも、長い長い年月を感じた。
民俗芸能の奥深さを総身で感じた後は、何を観ても少し物足りなかった。
しかし、挑戦者として果敢に新境地を開こうとする者たちの姿には、感銘を受けた。
創立メンバーとして佐渡に根を張り、分裂の歴史を超えて今の鼓童を創り上げた一人、小島千絵子さんは、完成形と思える程の太鼓の技術と、天性の舞のひらめきを持つ、稀有な存在である。
鼓童の舞台は民俗芸能のジャンルを越え、常に新しく更新する勢いを持つ「芸術」にまで昇華されている。
その中で彼女は常に、同じところに止(とど)まらず、日々自分の感性に心を澄まして、そこから湧き上がる新しいエネルギーに身をゆだねる挑戦者であり続けようとしている。
彼女の舞を中心に構成された「ゆきあいライヴ」を観ながら、自分はそのことに刺激を受けたくて佐渡に来たのだと知った。
また明日。
この日、デザイナーのMr.時広が、新潟から朝9時過ぎに宿入り。
そもそもこの宿というのが、いわば鼓童御用達(ごようたし)で、EC(アース・セレブレーション=大地あるいは地球の祝祭)期間中しか稼働しないらしい。泊り客は皆、鼓童と契約しているスタッフか、特別扱いのお客様。私の相客しかり。
その中で私だけが例外。鼓童のメンバー・小島千絵子さんの友人というだけなのである。
初日の夜は、旅館ロビーで写真スタッフたちと貴重な交流が出来た。
リーダーのシギー吉田さん(40代)は、高校時代名前の知られたラガーマン(ラグビー選手)だった人で、激しいタックルで身障者となり、リハビリの末ようやく片足以外が動かせるようになって、アメリカのオレゴン大学へ留学。卒業後カメラマンとなって、今年5月には会社を立ち上げた。社員は、やはりオレゴン大卒の若い日本人二人。皆個性的でおばさんに優しいのが特徴!それに、女性一人と東大(!)三年生の寡黙な男子が加わった計5人で、バラバラに各自の被写体やアングルを狙って写真を撮っていた。
何年か前に、シギーさんが個人的に鼓童に興味を持ち、許可を得て写真を撮らせてもらったが、その素晴らしい技術とセンスに鼓童側が惚れて、次からは契約写真家になったという。
時さんに言わせると、簡単に「ポートレート撮って」などと言える写真家ではないらしいのだが、実はチャッカリ撮って頂いた。
今私は、その写真が送られてくるのを心待ちにしているのだ。
彼らは毎晩遅くに帰ってきて、玄関脇のロビーでくつろぎ、島に1軒だけ出来たらしいコンビニで買ったおにぎりやつまみでビールを飲み、お疲れさん会をしていた。
EC初日の昨日、私はロビーにしかないテレビで、映りの悪い砂嵐画面のオリンピックに見入っていた。彼らはそんな私に気を使ってビールを勧めてくれ、男子400メートル・リレーの大金星(銅メダル)の瞬間には、一緒に喜んでくれた。
彼らとは様々な会場で会った。シギーさんは松葉杖を片手に、しゃがんだり、台に上ったり、寝転んだりしながらベスト・ショットを狙う。そのため右肘には、体を支える大きなタコがあり、コンクリートにこすれて血が滲(にじ)んでいた。私にはそれが、リハビリを乗り越え、異国で心身と技術を鍛えた男の証に見えたものだ。
彼は、ものの本質を捉える深い目をしている。他のスタッフもみな、自由奔放で優しく素朴な人たちだった。
さて、二日目はあいにくの霧雨。
その雨の中、神社境内で観た岩手の獅子踊り(金津流梁川獅子躍)は、生涯忘れられないだろう。
お腹にくくりつけた小太鼓を叩きながら参道を進んで来た彼らの威厳ある姿は、まるで時の彼方からタイムスリップしてきたかの様だった。私は鳥肌が立ち、思わず感動で目が潤んだ。
その装束に沁み込んだ歴史の風格。
刻まれる太鼓のリズムからも、次第に変わるフォーメーション(全体の形)からも、長い長い年月を感じた。
民俗芸能の奥深さを総身で感じた後は、何を観ても少し物足りなかった。
しかし、挑戦者として果敢に新境地を開こうとする者たちの姿には、感銘を受けた。
創立メンバーとして佐渡に根を張り、分裂の歴史を超えて今の鼓童を創り上げた一人、小島千絵子さんは、完成形と思える程の太鼓の技術と、天性の舞のひらめきを持つ、稀有な存在である。
鼓童の舞台は民俗芸能のジャンルを越え、常に新しく更新する勢いを持つ「芸術」にまで昇華されている。
その中で彼女は常に、同じところに止(とど)まらず、日々自分の感性に心を澄まして、そこから湧き上がる新しいエネルギーに身をゆだねる挑戦者であり続けようとしている。
彼女の舞を中心に構成された「ゆきあいライヴ」を観ながら、自分はそのことに刺激を受けたくて佐渡に来たのだと知った。
また明日。
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