佐渡に行っている間に、韓国ドラマのパソコン無料配信が溜まってしまい、早く見ないと先週分が削除されるので、まとめてアレコレ見ているうちに、日記が一日延びてしまった、ハハ・・・ハマッてま~す。
8月24日(日)
EC(アース・セレブレーション)最終日。 朝御飯を片している最中に軽~いギックリ腰になった。
このため朝9時からの鼓童村ツアーは断念して、1時間程寝っ転がってから、時さんと一緒にソロソロと徒歩で宿を出た。
しかし観光案内で、今日の予定バスは3回とも満席と言われ、結局EC通訳スタッフの外人さんが、用事があって鼓童村に車で行くのに便乗させて頂いた。
時さんの顔が利いたのである。
この不思議デザイナー時広氏は、鼓童の衣装を担当するようになって4年ほどと聞く。
これまでいくつかのステージ・シーン(全体ではなく、ショーの一部分)の衣装を作り、今回は小島千絵子さんたちのラストショー「宵のゆんづる」の衣装を新たに全てデザイン・制作なさった。
この4年の実績が、ものをいうのである。
鼓童村は、思っていたより規模が大きく、きれいに整備されていた。簡単にしか見る時間はなかったが、いつかテレビで見た玉三郎のドキュメントでの風景にも出会った。美しく雄大で、はるかに佐渡ヶ島の北部分の、七浦海岸が霞んで見える。
佐渡は大きな島なのである。
鼓童の本拠地は島の南端にある小木町(おぎまち)の、海に面した山中にある。したがってECも毎年ここ小木町で催される。
初めは稽古場でのささやかな公演から始まったこのECだが、いまや世界中から、音楽や祭というコミュニケーション手段に関心のある人々が集まる一大イベントに成長している。
初日コンサートでは佐渡市長と新潟市長が、それぞれ英語とブラジル語で挨拶をして、観客の喝采を受けていた。
今年はブラジルへの移民100周年にあたるそうで、過酷な日々を乗り越えた移民たちの写真展なども開かれており、ブラジルからサンバのリズム激しい打楽器グループも参加していた。
さて、時さんの衣装で彩られた「宵のゆんづる」が、ECの締めくくりである。
私は押しかけスタッフになって、千絵子さんはじめ、鼓童女性メンバーたち(舞・胡弓・琴・太鼓)に、衣装を着せる手伝いをさせて頂いた。皆さん若くて謙虚でプロ魂の塊である。
何より、国内外で相当の場数を踏んでいらっしゃる。
「宵のゆんづる」のメンバーは、他に、京都から作詞・作曲の方が自ら笛を吹かれ、同じく京都から唄と太鼓の素敵な親子が参加。うっとりする演奏だった。
とにかくこの唄の歌詞と旋律が素晴らしい。そしてその唄に合わせて創られた千絵子さんの踊りがまた素晴らしい。盆踊りのように踊れる簡単さと、振りの一つ一つの意味の深さに心打たれた。私も含め、観客は総立ちで踊りの輪に加わった。
是非いつか、近い将来にこのメンバーをわが町に呼ぼうと決めた。
明くる25日。”送り太鼓”と称して、鼓童のメンバーが数人、大太鼓を桟橋下に据えて、観光客を見送ってくれた。フェリーが港を離れて見えなくなるまで、千絵子さんが、束ねて重くなっているはずの大量の紙テープを力いっぱい振るのが見えた。
仕事への向かい方を教えてもらった4日間だった。
何が起こっても泰然と受け入れ、飄々と乗り越えてゆく時さん。どんなに疲れていても笑顔と平常心を絶やさない宇宙人・千絵子さん。ステージに命をかける夫を後で支える若き妻たち。日本全国からボランティアに集まった若者たちの、人懐こい優しい笑顔。
たくさんの土産を胸に、鈍行を乗り継いで故郷に帰りついた時、私の財布には13円しか残っていなかった。気がつけば、昼も夜もご飯を食べていなかった!・・・アハ。
8月24日(日)
EC(アース・セレブレーション)最終日。 朝御飯を片している最中に軽~いギックリ腰になった。
このため朝9時からの鼓童村ツアーは断念して、1時間程寝っ転がってから、時さんと一緒にソロソロと徒歩で宿を出た。
しかし観光案内で、今日の予定バスは3回とも満席と言われ、結局EC通訳スタッフの外人さんが、用事があって鼓童村に車で行くのに便乗させて頂いた。
時さんの顔が利いたのである。
この不思議デザイナー時広氏は、鼓童の衣装を担当するようになって4年ほどと聞く。
これまでいくつかのステージ・シーン(全体ではなく、ショーの一部分)の衣装を作り、今回は小島千絵子さんたちのラストショー「宵のゆんづる」の衣装を新たに全てデザイン・制作なさった。
この4年の実績が、ものをいうのである。
鼓童村は、思っていたより規模が大きく、きれいに整備されていた。簡単にしか見る時間はなかったが、いつかテレビで見た玉三郎のドキュメントでの風景にも出会った。美しく雄大で、はるかに佐渡ヶ島の北部分の、七浦海岸が霞んで見える。
佐渡は大きな島なのである。
鼓童の本拠地は島の南端にある小木町(おぎまち)の、海に面した山中にある。したがってECも毎年ここ小木町で催される。
初めは稽古場でのささやかな公演から始まったこのECだが、いまや世界中から、音楽や祭というコミュニケーション手段に関心のある人々が集まる一大イベントに成長している。
初日コンサートでは佐渡市長と新潟市長が、それぞれ英語とブラジル語で挨拶をして、観客の喝采を受けていた。
今年はブラジルへの移民100周年にあたるそうで、過酷な日々を乗り越えた移民たちの写真展なども開かれており、ブラジルからサンバのリズム激しい打楽器グループも参加していた。
さて、時さんの衣装で彩られた「宵のゆんづる」が、ECの締めくくりである。
私は押しかけスタッフになって、千絵子さんはじめ、鼓童女性メンバーたち(舞・胡弓・琴・太鼓)に、衣装を着せる手伝いをさせて頂いた。皆さん若くて謙虚でプロ魂の塊である。
何より、国内外で相当の場数を踏んでいらっしゃる。
「宵のゆんづる」のメンバーは、他に、京都から作詞・作曲の方が自ら笛を吹かれ、同じく京都から唄と太鼓の素敵な親子が参加。うっとりする演奏だった。
とにかくこの唄の歌詞と旋律が素晴らしい。そしてその唄に合わせて創られた千絵子さんの踊りがまた素晴らしい。盆踊りのように踊れる簡単さと、振りの一つ一つの意味の深さに心打たれた。私も含め、観客は総立ちで踊りの輪に加わった。
是非いつか、近い将来にこのメンバーをわが町に呼ぼうと決めた。
明くる25日。”送り太鼓”と称して、鼓童のメンバーが数人、大太鼓を桟橋下に据えて、観光客を見送ってくれた。フェリーが港を離れて見えなくなるまで、千絵子さんが、束ねて重くなっているはずの大量の紙テープを力いっぱい振るのが見えた。
仕事への向かい方を教えてもらった4日間だった。
何が起こっても泰然と受け入れ、飄々と乗り越えてゆく時さん。どんなに疲れていても笑顔と平常心を絶やさない宇宙人・千絵子さん。ステージに命をかける夫を後で支える若き妻たち。日本全国からボランティアに集まった若者たちの、人懐こい優しい笑顔。
たくさんの土産を胸に、鈍行を乗り継いで故郷に帰りついた時、私の財布には13円しか残っていなかった。気がつけば、昼も夜もご飯を食べていなかった!・・・アハ。
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