人村です!

舞台と結婚したと公言する「人村朱美」が綴る舞台生活 毎週火曜日更新・・・したいなぁ

予感のドラマ

2008年10月29日 | 舞台
 この日曜日は、またしてもマザー・テレサに変身。大好きな名田庄のステージに立った。
 それは嶺南地区の合唱団が一堂に会した合唱祭で、驚くほど多数の知人に出会えた。多くの方が、合唱の喜びに魅せられている証拠である。

 2時間の上演時間が短く感じられたのは、名田庄のホールがとても小さくて親近感が増したせいだろうか。全グループが客席待機で、互いの発表に耳を澄ませた。
 あの人、この人と、知人の歌う表情を追ったり、指揮を振る後姿に感心したり・・・。そのうち、各合唱団の上手い下手も、少々は聞き分けられるようになり、ちょっぴり耳が肥えたかなと思う。

 和気藹々(あいあい)の中終了し、無農薬の玄米や焼酎のお土産を合唱団から頂き、敦賀へお帰りになるM先生の車に、ちゃっかり同乗させて頂いた。

 その車中お聞きした「次の音を予感させる指揮者の技」についてのお話は、大変興味深かった。
 朗読に於いても「目の前の字面を追うのではなく、次の展開を予見して読み進まねばならない」と、よく言う。
 “読み”を超えた写実的新鮮味を生むには、絶対それが必要なのだ。

 芝居において、「次にきっとこうなる、こうなるといいな」という期待が観客に生まれた次の瞬間に、正にそうなった時、いわゆるカタルシス(感情浄化=感動)が生まれるのと似ている。

 音楽においても、目の前の音符だけを表現していてはドラマチックな演奏にはならないという。聞いて見れば当たり前のことなのだが、実のところ目から鱗が落ちた。

 そうなのだ。演奏においても、ドラマチックな世界を創るには、次の展開を含んだ”予感に満ちた音”を出さねばならないのだ。そして、世界広しといえど、それを誘導できる指揮者は稀(まれ)だという。

 “予感に満ちた音”・・・なんと美しい響き。
 時にはその予感を大きく裏切る事もカタルシスを生む。

 目の前にあるものだけを見ていては、心打つドラマは創れない・・。
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