10月29日、佐渡島で上演された『潮騒のかなたに聴く母の歌』に出演。
私にとって三回目の佐渡訪問である。
前夜に着き、深夜の宿のロビーで衣裳合わせ。その重さと大きさに「あ~、
時さんの世界にやってきてしまった」と身内に緊張が走る。
作・演出・制作の三役をこなすMr.時広渾身の新潟公演『月の浜にて星を待つ』
を31日に控えての、これは前夜祭的舞台だった。
場所は、彼の定宿“花の木”の会食の場。およそ15畳の、黒光りする広い
板の間を客席と舞台に仕切り、背景の広い庭に衣裳をまとった二体のボディを
立て、それを大きなガラス戸越に眺める趣向。時にはその庭から、時には客席
横の部屋から演者たちが現れ、ある者は舞い、ある者は歌い、またある者は語
るという不思議な世界。
闇に浮かぶ衣裳ボディの優しい美しさが、時折風を孕(はら)んで、微笑みかける・・・。
私は、佐渡にちなんだ作品の抜粋朗読と、時広氏の不思議な作品を語った。
衣裳との格闘を悟られないように、しかも内容に集中して語るのは、私には
いつも高いハードルだが、その緊張感こそが時さんとの仕事の喜びでもある。
瞬間、瞬間を更新しながら進むスリル。その度に新たに広がるイメージの深淵。
贅沢なお仕事をさせて頂いた。
31日の新潟りゅーとぴあ能楽堂公演は裏方に徹してお手伝い。リハーサルを
じっくり見せて頂くチャンスを与えてもらったと感謝している。
昨年初夏の大阪での『世界』という彼の作品とはまた違って、能楽堂という静謐
(せいひつ)な空間をフルに活かした素晴らしい舞台だった。
その舞台の成果もさることながら、裏を手伝ってくれた、新潟の若き俳優たちとの
出会いもまた、宝物のような思い出だ。
実に謙虚で素直で、しかし怖れを知らぬ若者たち。自分の若い頃を久々に思い
出した。私にもそんな、うぶな時期があった。いや、もっと不遜だったか・・ハハ。
花の木、新潟のショットバーで飲んだ日本酒は、このところ遠ざかっていた
“美味い酒”だった。そのショットバー“アガシ”で無理いって出してもらった
“越の寒梅“は、特に身に沁みた。
マスターに、「開業以来25年、日本酒をお出ししたのはあなたが初めて。
本当にわがままなお客だ。残りは背負って帰りなさい」と持たされて、遥々
(はるばる)持って帰った寒梅を、今独り飲んでいる。
良くも悪しくも、人生の限界を超えようとしている自分が、隣に居る。
私にとって三回目の佐渡訪問である。
前夜に着き、深夜の宿のロビーで衣裳合わせ。その重さと大きさに「あ~、
時さんの世界にやってきてしまった」と身内に緊張が走る。
作・演出・制作の三役をこなすMr.時広渾身の新潟公演『月の浜にて星を待つ』
を31日に控えての、これは前夜祭的舞台だった。
場所は、彼の定宿“花の木”の会食の場。およそ15畳の、黒光りする広い
板の間を客席と舞台に仕切り、背景の広い庭に衣裳をまとった二体のボディを
立て、それを大きなガラス戸越に眺める趣向。時にはその庭から、時には客席
横の部屋から演者たちが現れ、ある者は舞い、ある者は歌い、またある者は語
るという不思議な世界。
闇に浮かぶ衣裳ボディの優しい美しさが、時折風を孕(はら)んで、微笑みかける・・・。
私は、佐渡にちなんだ作品の抜粋朗読と、時広氏の不思議な作品を語った。
衣裳との格闘を悟られないように、しかも内容に集中して語るのは、私には
いつも高いハードルだが、その緊張感こそが時さんとの仕事の喜びでもある。
瞬間、瞬間を更新しながら進むスリル。その度に新たに広がるイメージの深淵。
贅沢なお仕事をさせて頂いた。
31日の新潟りゅーとぴあ能楽堂公演は裏方に徹してお手伝い。リハーサルを
じっくり見せて頂くチャンスを与えてもらったと感謝している。
昨年初夏の大阪での『世界』という彼の作品とはまた違って、能楽堂という静謐
(せいひつ)な空間をフルに活かした素晴らしい舞台だった。
その舞台の成果もさることながら、裏を手伝ってくれた、新潟の若き俳優たちとの
出会いもまた、宝物のような思い出だ。
実に謙虚で素直で、しかし怖れを知らぬ若者たち。自分の若い頃を久々に思い
出した。私にもそんな、うぶな時期があった。いや、もっと不遜だったか・・ハハ。
花の木、新潟のショットバーで飲んだ日本酒は、このところ遠ざかっていた
“美味い酒”だった。そのショットバー“アガシ”で無理いって出してもらった
“越の寒梅“は、特に身に沁みた。
マスターに、「開業以来25年、日本酒をお出ししたのはあなたが初めて。
本当にわがままなお客だ。残りは背負って帰りなさい」と持たされて、遥々
(はるばる)持って帰った寒梅を、今独り飲んでいる。
良くも悪しくも、人生の限界を超えようとしている自分が、隣に居る。
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