明日はいよいよ、私の地元のお墓への納骨式です。
毎日のように、息子が58歳と云う若さで、母親よりも早く亡くなってしまった不幸な事態にも、
何か意味らしきものがあるのだろうかと、考えてきました。
そして辿り着いた意味とは・・・
それは語るに尽くせぬほど沢山あるのですが、その一つを書きますと・・
高齢になった母親へ、生きる確かな意味と理由を死を以てして、遺して逝ったのかと思えるようになりました。
私はある年になってから、単に長生きするのは、幸せだとは言い難いのでは・・と思い、頭がしっかりしなくなって、自分の行動に自信が持て無くなったら、早く死んで逝きたいと思ってきました。
そして、息子にもそんな想いを伝えてきていました。
ですから、生きなければいけない私にしか出来ない課題を、沢山遺していったのでしょうか・・
一人墓の樹木葬もいいね・・
娘と入れる母さんの地元の墓でもいいのかな・・
この世に自分の骨は残してくれるな・・
海の藻屑になるように流してくれ・・
まだまだ沢山、
あれやこれやと言い残して逝きました。
そのお蔭で、私の早く死にたい願望は確かに消え去りました・・
生き長らえて、息子の二つのお墓をしつかり守り、法事事もちゃんとやって、
せめて13回忌の法要までは生きていなければ・・と・・
でも・・今から13年後??まで生きるの??
私は95歳になってしまうじゃないの・・
それは無理ですね。
7回忌までは私の仕事にしても、13回忌以降は孫娘のAちゃんに引き継いでもらいましょう! ! 😇 😇