さても・・さても・・
母親と言え、拙い文章力で息子の人生を語るなんて傲慢だし、正しく伝える事など出来ているのか・・自信はないのだが、ケジメだけはつけましょうか・・
勉強嫌いでヤンチャな息子が高校の卒業証書を手に、18歳の春に家を飛び出し、東京一のらーめん店に修行に入り1年の修行の後、店を開業して、あれよ、あれよと言う間に地域の一番店にしてしまい、従業員を7名抱える繁盛店にしてしまう話までは書きましたね・・
二十歳にしての社長業は肉体的・精神的な圧力になり肝臓病を病み、その後にはウツ病を発症してしまい窮地に追い込まれながらも復活して、50歳に手が届く頃までお店は大変良好な経営状態でした。
まだ「青年」の名の如く、若干二十歳の青二才の息子が、何ゆえにそこまでお店を発展させる事が出来たのか・・私にはその理由は明白なのです・・
それは、息子と言う男には、強欲がなかったのが一番の理由だったと思うのです。
呆れるほど、従業員を大切にしていました。
経営が破綻してしまうのでは・・と心配するほど、ホーナスを出し、昇給もさせていました。
私がその事に口を挟もうものなら、
声を大にして言いました。
「従業員の働きによって、店は儲けさせてもらっているんですよ・・
オレの店は、常連のお客と従業員の働きによって繁盛させてもらっているのだ」と・・・
二十歳前後の若い男性が従業員でしたから、飲みにも連れて行くし・・遊びにも連れて行く・・そんなお兄ちゃん社長だから皆が着いて来てくれたのかも知れませんね・・
「母さんだって商人なんだから分かるでしょう!」
物言えば・・そんな言葉が返ってきました・・・
息子の凄さは、それだけではありませんでした。
開店資金として親が出した1500万円と言う大金ですら、数年後には利子までつけて返してきたのです・・
それは、大学へ行かなかった学費分なのだから返却はいらない・・と再三言い聞かせていたのに、完済させてしまいました。
とても若い男のやれる事ではありませんでした・・・
今は天国へと旅立ってしまった息子ですが、こんなに偉大な業績を遺した息子に私は、褒めてあげた覚えがないのです。
それは息子も一人の男の部分もありましたから、不祥事の一度や二度はありました。
その事を何処かで責める私がいたからなんでしょうか・・
こんなにも早く逝ってしまうのが分かっていたならば、
私の息子よ・・良くやった! !と、一度や二度は褒めてやるべきでした・・
後悔先に立たずの想いは、拭い切れません・・・