明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日韓関係の2019年を総括する

2019-12-27 20:50:04 | ニュース
日韓関係はようやく協議の場が再開されたようだが、相変わらず双方の姿勢は変わらない感じである。日韓はそもそも仲良くなれるのか、という疑問も、国民の根底にはあるのだ。この争いの裏に隠された構図、つまり裁判で争う文化が根付いていない国民同士が、日韓請求協定を持ち出して「合法だ、いや不平等で無効だ」と言い合っている姿勢というのは、実は問題を解決しようとする気がない、と私には見える。第三者の裁定に委ねて正々堂々と意見を主張した結果、例え敗訴しても「裁定を尊重し、お互いの関係は良好に保つ」というのが、本来の「裁判文化」である。では、そういう「自分たちよりも上位の存在、例えば神」というような共通の存在を持たない民族同士が争った場合は、どうすれば解決するのか。これが今の日韓関係の根本問題だ。これに対するヒントは、実はスポーツにある。

サッカーでもバスケットでも、その他の何のスポーツであろうとお互いゲームを戦えば、当然ながらサポーター同士も「戦う感情」がヒートアップする。相手より優位に立つためなら「何だって利用」するのが興奮したサポーターだ。それが勢い余って暴力衝突に発展することもある。これは実は暴走族の心理と共通していて、相手に勝つことによって己の力を立証し、存在感を高揚するという訳だ。サッカーはそのための「道具」に過ぎないわけである。本来、「サッカーというスポーツを愛する」者同士が試合をすれば、互いの選手のモチベーションは、第一には「いい試合をする」ことではないだろうか。どんな汚い手を使っても勝つんだ!、というのでは「もはやスポーツではない」のである。

だから試合が終われば同じサッカーというスポーツを愛する「仲間同士」として、お互いの健闘を称え合うのである。これがラグビーで言うところの「ノーサイドの精神」なのだ。だから試合には「レフェリー」が参加している。レフェリーの裁定には参加選手全員が従うことになっており、抗議はするが結局はレフェリーの決めた決定が通るし、最終的には「レフェリーの上位には誰もいない」ことで試合が成り立っている。近年はデジタルツールの進歩に合わせて、ビデオ導入が始まって来たのは皆さんご承知の通り。もともとお互いの選手の主張や観客の判断が相反する場合、解決する方法は「真実」を知ることしかない、という考えが根底にある。それが「ルールの尊重」ということだ。ルールに照らして裁定するためには、「それが真実かどうか」が最重要である。それは取りも直さず、「先入観の無い、公平な立場で見る」ことが前提になる訳だ。

翻って日韓関係を検証すれば、この「真実を知る」ための努力が韓国には全く「無い」のである。勿論日本にも、そう言う面はあるに違いないが、韓国の世論を形成している「歴史の積弊」という考え方は、かなり間違った知識が(意図的なものも含めて)あるように思う。最近話題になっている「反日種族主義」という本などは、これを是正しようという動きの現れだ。だが韓国の反日感情というものは、小学生のうちから公的な教育機関を通じて徹底的に教え込まれているので、そこから「真実を見よう」という流れになるまでには、相当時間がかかる。そして一部の反日を煽る連中に取っては、日本に勝つことで「韓国の力を誇示しよう」というのが目的なので、真実を見つけることは「元々、全然やる気が無い」のだ。なぜなら彼らにとって「解決」とは、何でもいいから「勝つこと」に他ならないのである。勝つことだけを目的とした連中には、正義も真実も「必要ない」し、場合によっては「捏造する」ことだってまるで厭わない。つまり、目的が正しければ、手段は選ばない連中なのである。これを「見下げ果てたゲス野郎」と言おうと何と言おうと、戦っているという事実に変わりはない。これは戦争中の陸軍参謀中枢と、状況は同じである。正論を言って戦争を中止しようとする人は、「そんな弱腰でどうするんだ!」と一喝されるのがオチである。では、どうすれば真の解決が得られるのか。

過去の精算をしようとすれば、それを考える人達は全て「当時の戦争状態の中に放り出される」ことになる。戦争の精算をするのであれば、終戦直後に立ち返って戦争中の行為の是非を問い、謝罪と損害に対する賠償金その他の補償をしなければならない。それが慰安婦問題であり、徴用工問題だ。しかし日本は日韓請求協定で完結したと言い、韓国は「いいや、まだ終わってない」と言っている。どちらが正しいのか。これは二国間の条約ではない。連合国戦勝国側と敗戦国日本国の締結した日韓基本条約に基礎を置いている。この連合国のメンバーに韓国は「入れてもらえなかった」ことが「歴史の積弊」の遠因となっている。だからいつまで経っても納得しないわけである。歴史的には、日本は合法的に韓国を併合したことになっているそうだ。占領ではない。そこに韓国の歴史の重大な汚点があったのだ。というか、漢の時代から2000年もの間、常に朝鮮半島は「外敵から併合」されて来た。韓国は中国という大国を取り巻く「少数民族の国」だったのである。

いろいろ思う所はあるだろうが、ここは過去を全てかなぐり捨てて、「一から新しい未来を築く」ことを目指してこそ、初めて正しい日韓関係が出来てくると私は提案する。慰安婦も徴用工も、戦争被害にあった人は既に少なくなってしまっている。個人の損害は当時の被害者に対して行い、謝罪と金銭的補償をすることで解決するだろう。だが、被害者でもない人が加害者ですらない戦後生まれの現代の日本人に補償させて「歴史の恨みを晴らした」云々というのは、全くおかしいと思う。私達は韓国との戦時中の問題に「一切関わってはいない」。生まれてもいない昔のことに「誠心誠意、謝れ!」と言われても、覚えていないことに「どう謝れ」というのだろうか。それでは、どう謝っても「心が籠もらないのは当たり前」ではないか。ここはビジネスライクに補償して、この問題を終わらせることが双方にとっても有用である。過去の責任者とは一線を引いて、現代人として「補償はするが、謝罪はしない」でいいのではないだろうか。だって実際、我々は当事者ではないのだから。もっと言えば、それが現代のやり方である。

結論として今取れる解決策は、日韓両国から寄付を募って徴用工の人に賠償金を支払うという案(言っている韓国議長は好きではないが)、意外といいかも知れない。国家と政治・裁判所や経済界の動向とは全く無関係に、「人道的に寄付」するのだ。無償の寄付である。勿論、補償という名前も「なし」である。簡単に言えば、災害の募金だ(旧徴用工被害者救済募金、なんて名前が良さそう)。その行為によって、日本人の「民族としての心の美しさ」が証明されるだろう。ロシアワールドカップの後の選手ロッカールームが綺麗に清掃されて、「ありがとう」と鏡にメッセージが残されていた、という日本チームのエピソードは「全世界の人々の心を感動で温かく」した。それと同じことである。困った人がいれば助け合おう、の精神だ。そして、両国政府は募金活動を通じてより友好を深め合い、これからの新たな日韓関係を築く上での「新しい日韓基本条約」を結ぶのである。

それは日韓で何かの揉め事が起きた場合、その原因を「1965年以前の過去に遡らないこと」を骨子とする、過去切り離しの法である。それを「両国が誓いあう」ことでやっと戦後が終わり、現代の新しい日韓関係を始めることが出来ると思う。過去は過去、現実の問題とは切り離すべきであろう。過去に結んだ条約が足枷になっているのであれば、新しく話し合って「結び直せばいい」。そこで歴史問題や積弊を持ち出さないで、今の現実の両国の問題として討議を重ねれば、解決できない問題は無いと言える。ロシアと中国は長い間国境問題で紛糾していたが、プーチンが柔軟な対応で全て解決したと聞いている。要は解決したほうがメリットがあるということだ。プーチンは現実を見ている。韓国の文在寅が「現実的な解決を目指す」なら、直ぐにでも実現できるのである。要は、「解決」を求めているようで、実際は「解決を求めていない」ということじゃないだろうか。

根本はお互い「いい人間」になる、これが唯一の解決法である。何がいけないから何をやらないようにしよう、というのは「後退的思考法」だ。むしろ何が素晴らしいから何をしよう、というのが「未来構築型思考法」である。相手がどうこう言うのではなく、「自分自身が良い人になろう」とすれば、結果はどうなろうと「天下に一点たりとも恥ずべきこと無し」と胸を張って言える。良い人になることにかけては、世界一の日本人だ。若い人同士、日韓協力して新しい東アジアの未来を築こうと努力するならば、そこに何の問題があろうか。実際、日本人と韓国人が直接会って、お互いに個人的に何か「根本的に問題がある」というようなことは、寡聞にして聞こえてこない。

簡単に言うと、過去にフタをして未来に向けて一からやり直そう、というのが私の提案である。それが一番手っ取り早い。色々あった過去は「老人たち」に任せて、若者は新しくこれからの日韓関係を構築すべきだ。そうすれば両国がいがみ合う事が、「どれほど経済的にも文化的にもロス」であるか、わかる筈である。現在の両国の貿易額が、ダダ下がりしているのがいい見本だ。これは日韓どちらに取ってもプラスでは無い。早期に「解決する事を諦めて」、一度過去を全部捨て去る事である。

なお、募金は good idea だ。あの韓国議長、顔に似合わずいい事言う。この際、損得は度外視するべし。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿