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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

作家の尾崎世界観が、ラジオで本屋の未来を語る

2019-12-24 22:43:01 | 芸術・読書・外国語
今日はTBSラジオの ACTION という番組でやっていた本屋の話。いつもゴルフの練習をする時には結構大きな音で聞き流す事にしていて、この話は赤江珠緒の「たまむすび」からの続きでそのまま聞いてしまった、言わばオマケで聞いていた予定外の話である。近頃ニュースで本屋が次々とつぶれているということで、ゲストに元本屋の店員で現在は編集者の「ながえあきら氏」(ちょっと名前を正確に覚えているか、怪しい)を迎えて、何故次々とつぶれるのか、本屋の問題点を取り上げていた。MCは尾崎世界観(私は不案内だが、作家らしい)。

1、現状分析
まず何故潰れるか、ということの背後にある「本屋の販売システム」について考える。本屋は出版社から取次店に送られて、その取次店が「どうしたら一番売れるか」を決定して、その決定に従って「本屋に配布する」らしい。本屋は一旦仕入れ代金を支払って、売れ残った分を返品して差額を返金して貰う、という仕組みである。これはコンビニなどでも採用されている(ような雰囲気の)「商品展開システム」であって、大概のチェーン店や小売店はこのシステムに従って、本部(つまり取次店)が決めた本を、決められた量だけ自分の店の売り場に並べることが出来る仕組みだ。つまり、店主が気に入った本や売りたい本ではなく、取次店の決めた本が「店頭」に並ぶ。これが現在の本の流通システムである(実際近くのコンビニでも、私の大好きな冷製トマト・スパゲッティが無くなって、ちっとも旨く無い鶏肉のトマト煮スパゲッティに変わってしまった)。そのせいかどうか知らないが、本屋の取り分は2割程度と、小売店のマージンとしては相当低い(頭を使って商品を選ぶ「仕入れ」が必要ないのだから、リスクがないから「ある意味」当然である)。この仕組みは、昭和(間違えてたらごめんなさい)の頃の「本が売れている時代」のシステムで、現在の本の消費量から言ったら「時代に合わない」という。そう言えば私も、欲しい本はアマゾンで買ったりして、本屋で買うことは滅多になくなっている。全国で1万何千店ある書店の「返品率は4割」ぐらいで、取次店は利益を確保するために「じゃんじゃん新刊本」を送りつけるという「本に対する背徳行為」に走ったりして、余計消費者の「読書離れ」を加速してしまっているのが現状だ。そのために新刊本は「物凄い数」出ているのに、本屋が次々潰れるという逆転現象が起きているのである。これを何とかしなくては、今に本屋がなくなってしまう。そこで次に「本屋をなくさない方法」を考える。

2、問題の核心
全ての問題は、今の本屋の形態が「時代に合っていない」から潰れている、という事だ。石炭を掘る仕事は、石炭の使用量が減り、消費者の求めるものが電気・ガスに取って代わられた結果、全部潰れてしまった。要は、需要がなければ潰れるのである。そこで本の「正味の消費量」と、読み捨てる運命の「雑多な印刷物の量」とをキチンと調査し、実際に「本を買って自分の家の書庫に所有していたい本」の需要がどのくらいなのかを、まず把握する。多分、現在流通している本の量の10分の1も無いのではないか。残りは通販ですら扱わなくなって、全て「ネットの電子書籍」になるに違いない。そもそも本というのは「情報」に対して支払うお金の事である。一度読めばもう要らないから、古本屋に売って「自分で所有することなど考えない」という人に取っては、一回で終わる情報だから「それなりに安い」ものになる筈だ。それに比べて所有し何度も読み返す本は、言わば「耐久消費財」と考えられる。耐久消費財であれば内容だけでなく、装丁も上質なものが求められる。ちなみに私の蔵書である堀田善衛の「嵯峨野明月記私抄 上下」などは文庫本であるが、「今度出るマニア向きの美麗な豪華装幀本は3000円です」と言われれば、きっと喜んで購入するに違いない。これ、「需要と供給」の理論通りだ。

3、新システムを試す。つまり、そういう事を踏まえて本を扱うシステムを根本から変えてみよう。

a. 本を出したい作家は「本データベース」というのに登録して、今月の新刊本とか今年の新書とかの項目に表示してもらう。どんな本が出ているかどうかは、今は「出版社や本屋の宣伝する作品」で知るわけだが、これからは「全ての本はデータベースで調べる事ができる」。自費出版本も必ず載せるので、新刊本の情報は完全に「データ化される」訳である。これを見ていれば、「新しく出た本を見逃す」なんてことは一切無い。それに、作家だけが色々考えるのではなく、出版社も一緒に制作に携わり、例えばミュージシャンが楽曲を出すように、マネージャー・ディレクター・プロモーター・レコード会社・その他諸々の人々が「売れる作品を出す」ために仕事をしていくのである。この「本データベース」は非営利団体で、本の売上の1%を収入源として運営する。勿論、作家の権利を守る組合の機能も、同時に持つこととする。この団体以外に、それぞれの作家と販売チームが個別に宣伝を行い、書評や月刊誌などを出すのもまた自由だ。要は、作り手が本屋に「一方的に流すシステム」を一切止めるのである。

b. 消費者は、データベースに登録された本の中で「読みたい本」と「所有したい本」の2種類に分けて、選んで注文する。読みたい本を選んだ場合は電子書籍で配信されて、アマゾンの読み放題のように「一定数をクラウドに入れて」読むこが出来て、読み終わったら削除する。支払いは「定額サブスク」と「個別」があるが、目的の本が定額の方で読めるかどうかはアマゾンなどの読み放題と同じである。どっちみち読み捨てだから、高ければ全然売れない。が、電子書籍だから「地球に優しい」のである。これは大事だ。一方、所有したい本を選んだ場合は、「ユーザーが指定した本屋」で受け取ることが出来る。支払いは、本屋で決済する。元々所有する目的で買っているわけだから、中古市場に出回ることは殆どないが、「買った人が亡くなったり、何らかの事情があって処分」した場合は、僅かだが「古書店に出る」ことになる。そうなれば、これは高額な値が付くだろう。つまり、どんなものでも雑多に安く売っている古書店なんてものは無くなって、電子書籍で消えてゆく本と、古書店で売られる高価な「価値ある本」の2種類になるわけだ。中古本の市場も「古道具屋並」のレアな世界になっていく。

c. そこまで出来てきたら、最終目的の「本屋の改革」を一気にすすめる。ユーザーが指定する本屋も、今のような「単なる販売店」ではなくなり、これからの本屋は、喫茶店が兼業する「本を中心とした社会交流の場」へと変化していく。そこでは、喫茶と軽食やアルコールを供する店が「本屋を兼ねて」営業する「カルチャースクールまたはサロン」になっていくのだ。お客はお茶を飲みながら「頼んでいた本を受け取ったり」、店に陳列してある「お店が薦める本」を眺めて気に入れば購入したり、本を中心として「人々が意見や感想を交換する社交の場」を構成する事になる。自分の所有する本を持ち込んで読書したり、コーヒーだけで「本は読まずに議論」に参加する人もいて、本を介在した「大人の自由な文化」の花開く場所になる。もともと本は、情報を人々の間に行き渡らせるために作られたツールである。そこで、本屋を中心として知的なムーブメントが起き、そこに作家や編集者が参加して、地域に文化が根付く「基礎単位」になって来る。喫茶店でなく中華屋や居酒屋でも構わないが、朝からコーヒーを飲みながら爽やかな気持ちで本を読む環境を考えれば、喫茶店がベストだろう。一人で自宅の書斎に籠もって大作を何冊読破しても、それで得られた知識を誰かに話したりして共有しなければ、ただの宝の持ち腐れでしかない。誰かに離してこそ、本の価値も上がると言うものである。これは音楽や絵画やその他の芸術では、既に確立している形態である。もう、今や旧態然とした個人による知識の閉鎖的な文化を脱却しなければ、新しい本の本当の未来は無いと思う。

以上、私の提案する「本屋改革その1」です。如何でしょうか。それには、まず出版される本「すべてを電子書籍化する」法律を国会で通す事である。それに色々ある電子書籍のシステムに共通の「テキスト書法」も決める事。出来れば「全世界で書式を一つ」に策定する事ができれば、一気に電子書籍文化が発展することは間違いない。この時きっと古めかしい出版社や「手作業の製版業者」などが団体で「猛反対する」であろうが、時代の流れは変えられない。ならばその変化を先取りして、日本が世界基準の「電子書籍文化国家」になろうではないか。現内閣は国会の公文書が偽造されたり、シュレッダーで廃棄されたりバックアップが使えなかったり、文字というものを「異常に軽視する内閣」である。こんな社会はいずれ滅んでしまうに違いない。私は史記の司馬遷や論語の孔子など、紀元前に活躍した中国の作家・文筆家の事を思った。

結局、あらゆる書籍を何万冊も取り揃えた、デパートのような大規模書店はもう必要ない。これからは地域に密着した「地元の書籍サロンの一部として本屋機能」が残っていくであろう。最近はちょっと本屋に行けば「一時の人気に便乗したくだらない読み捨て本」が、文字通り「山のように」並んでいて、しかもあっという間に入れ替わってしまう。驚くべき「新刊本ラッシュ」だ。本当に価値のある本など「そんなに世の中に出てくる訳が無い」ではないか。その新刊本の影に隠れて、「もっと読まれなければならない良書」が消えていって廃刊される。これは読書界においては悲劇である。

需要から言えば本屋はもっと縮小されていい。場所で言うならば、各町に一箇所ぐらいで済む。それくらいで「今よりもっと充実した内容の本屋」が作れるのだ。利益率も5割くらいは取れるし、本屋の「個性も十分出せる」し、過重な新刊本の入れ替え作業にも関わらなくても済む。その結果「新しい本好きな店主」がどんどん参加してきて、むしろ本や業界は「活性化」するのではないかと思っている。作家の方も芥川賞とか直木賞を取ったりして、タレントや有名人みたいになってボロ儲けするのでは無く、「作家として認められる本来の姿」を追求できるから、より実質的には「本にとっても良い事」だろう。こういう改革を実行すれば、実は本屋の未来はとても明るいと言える。

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