このところ文庫や新書などを週1に1冊という「超ハイペース」で読む、という難行を続けています。実は最初、毎年初めに書く「抱負」がいつも達成できずに歳ばっかり取ってしまって「あーあ、またダメだったなぁ」と溜息つくのが習い性だったので、たまには一つくらい何とか実行してみたいと思い立ち今回「とにかく読破!」の方針で臨んだわけです。いままでは読書する時には中身の理解が大事だと考え、理解が追い付かないときには立ち止まって深く考えたり記憶や知識が曖昧な点はネットで調べたりしてゆっくりゆっくり読み進めるのが常だったんですねぇ。まあ、王道とも言えますが。
しかしその方法では「週1で1冊」など夢のまた夢に終わってしまいます(若けりゃ出来るかも知れないが)。この際「躊躇している時間はない!」と考えて、まず目標を達成することに切り替えました。なので狙いを中国史と日本古代史および詩歌全般ならびに明治大正期の文豪、の4点に絞って手当たり次第に読みまくることとした訳です。今の所なんとか目標はクリア出来ていますが、読んでるうちに私の中で「微妙な変化」が出て来たんですねぇ、これは驚きです。
人間はすべて「変化する」生き物です。例えば味覚は、子供から大人になるに従って変わってくるというのは良く知られていて、昔は嫌いで食べなかったものが突然好きになって毎日でも食べたくなった、なんてことも良くあります。味覚は百人いれば百通りの「味の好み」がある訳で、それは舌に存在する「味蕾」が歳を経ると共に質・量が変化し、結果として味覚が変わったと「自覚する」、ってわけです。現在美味しいと感じる食物の好みはもしかしたら明日変わっているかもしれません。但し、新しい食品にチャレンジするという経験を経なければ、それは実感できずに永遠に同じ食べ物を食べ続けて「何だか最近美味しいものを食べてないなぁ」などと不平不満をつぶやいたりしますね。
新しく味蕾が変化して味覚が変わるのが先か、それとも新しい食べ物を食べることで味蕾が対応するから味覚が変わるのか。はて、どちらでしょう?
私は生物の進化というパターンを考えると、外界の変化は勿論重要な要素ではありますが果たしてそれが「即」遺伝子へ影響して対応する能力を獲得するか?と言えば、「NO」じゃないかと思っています。キリンは高い所のエサを食べるのに対応して首が長くなった・・・ではなく、首の長い「新種」がまず生まれてきてそれで旧種を駆逐し現在の形になったと考えるのが現在の科学の主流です。但し、首が短い種が淘汰・絶滅したかというと彼等は足も短くなって、地面の草を食べるのに適した形になっていった、と言う訳です。まあ、これは私の勝手な想像なので忘れて頂ければ幸いですが、私が今までの読書法をやめて読書量を増やしてガンガン「闇雲に読む」というスタイルにしたお蔭で、私の感覚に変化が起きたのは事実です。
それは私の「言語能力」が飛躍的に伸びた結果、対象の文章の背後にある作者の心つまり作者の想い「そのもの」に、今までにない位「じかに」共感するように変化したんです!(パチパチパチ)。
まあ、私の浮かれた独りよがりの恐れも無くはないですが、今は体の中の奥深くに間違いなくこの感覚は存在している、という実感があるます。これは例えるに、舌における味蕾のようなまたは耳における音感のような、その細胞の一つ一つを「組み合わせること」によって独自の感覚を現わすある種の機能・能力のことだと思っています。それは今までは文章を読んだらそこに書いてある内容をまず頭で理解するのが先でした。そして内容を論理的に説明出来ると分かった段階で「終了、次の文章」と読み進めていくわけです。これが科学とか学術的なものやまたは歴史本などの記憶が大切なものは当然ですが、詩歌や小説のような感覚的で芸術の類に分類される文章まで「同じように」読んでいた訳です。要は頭が「散文」なんですねぇ、お恥ずかしい。
ところがさっき何気なく伊勢物語を読んでいたら「突然」文章を頭で理解する前に「熱い感情が湧き出て」きて、思わず心を揺り動かされたのでした(オーマイガッ!)。これは多分、私の散文的な理解能力が発揮される前に「それを超えて、詩歌的な想像・同化能力が瞬時発動された」のだと思いました。細かく説明すれば「より深く、作者の世界に踏み込み、さらなる感動」を得ることが出来た、ということでしょうか(これも説明文ですけど)。つまり文章や言葉で表した人間の心をストレートに受け取り共感する「言葉本来の役割としての伝達機能」が研ぎ澄まされたことによって新たな感覚を実感出来た、という訳です。これを私の言語能力の開花と言わずして何というでしょうか?(これちょっと自慢に聞こえるかも)。
というわけで、これからは「本を読む」という行為を通してあらゆる言葉の表現を「一旦脳内にしまい込んで」蓄積し、さらに時間をかけて熟成・発酵させることで、一層この言語能力を高めようと思います。とにかく今年は読みまくるぞ~!
おまけ:物事にはやってみないと分からない事がいっぱいあると思いました。やる前にあらかじめ結果を想像してどうこう考えるじゃなく、例えば角を曲がったら「へぇ~、こんな所にしゃれたカフェがあるぞ!」的な驚きのある人生を送ろうじゃないですか。これ、憧れてた芸術家の人生と似てるかも・・・。
で、もし何も無かったら?。そんときはそんとき、気にせず次いこ、次!
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