明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

5読書の勧め(20)始皇帝の戦争と将軍たち(鶴間和幸)

2025-03-05 18:00:00 | 芸術・読書・外国語

言わずと知れたザ・キングダムの話です。
主人公の秦の始皇帝は、並み居る群雄割拠の戦国時代を制して悲願の中国統一を成し遂げた歴史上に燦然たる大英雄ですね。しかしその生い立ちは秦王の家系にも関わらず父親が趙の人質だった為、王位継承順位はだいぶ下だったようです。秦王に関しては最初は問題にすらなっていなかった、という事ですか。そもそも父親が人質に出されていた時たまたま地元の豪族の娘趙姫と結婚して出来た子だった訳です。しかも妻となった趙姫が実は後の秦の相邦になる大商人呂不偉の愛人だった説があり、結婚した当時既に身ごもっていたんじゃないか、という疑惑が一部にはまことしやかに語られているようです。まあ英雄には硬軟織り交ぜてエピソードには事欠かないという事ですね、初めっからすんなり秦王になれた訳では無いところにそもそも伝記的面白さがあります。
とにかく、彼の波乱万丈の人生は今たまたまBSで放送されている本場中国のテレビドラマで詳しく描かれているのでそちらに譲るとして、この本で書かれているのは「始皇帝の人間力」です。表題にもあるように、ポイントは始皇帝の周りに数多く集まった近臣集団が他国と比べて圧倒的に優秀だったことです。何故それほどまでに優秀な人間が集まったかというと、それを可能にしたのが彼の「人間的な魅力」だと筆者は書いています。それは現代にあってさえ中々身につけるのが難しく、王となれば尚更得難い「始皇帝の不思議な性格」に有ったんじゃないか、と私は考えました(これ、私の解釈です)。
それは人間、上に立つとどうしても下の人間を見下して、その意見を正しく評価し耳を傾けることが出来なくなるものなのですねぇ。ところが始皇帝の素晴らしい点は、実に良く人の意見を聞いて己の考えに取り入れたことです。これを逆の見方で言えば、人を利己的な眼で振り分けて自らの権力を維持しようとするのではなく、相手と対等な立場に立ち分け隔てなく議論を戦わせ、純粋な気持ちと偏見のない素直な眼で一つ一つ目の前の問題を解決していった、ということではないでしょうか?。始皇帝が王たるものが持つべき「理想の性格」を既に生まれつき持っていたという点で、時代は離れていますが日本の織田信長と何かしら共通点があるんじゃないかと私は思いました。まあ、支配下に置いた地域の広さは段違いですが、戦国各国を撃破・統一した業績と当時の常識を超えた革新的な思考をもっていた点で、案外二人の人間性は類似点が多いなぁ、という印象です。
信長は当時としては珍しく兵農分離をして季節の影響を受けない常備軍の集団を作ったり、積極的に外国から新らしい技術を輸入して鉄砲を活用した先進的な戦い方を行ったりして他の武将とは一味違っていますね。また一方では海外貿易を推進したり地元で楽市楽座などの市場活性化策を打ち出したりと経済の重要性を充分認識していて、戦国の群雄割拠の環境の中、閉鎖的な社会を作ってそれぞれの国が覇を競っていたこの時代では相当「先を見た」現代的な考え方を持っていた人間だと言えると思います。
始皇帝も呂不韋を始めとして各国から一流の人材を集め、それぞれの評価に従い高い地位を与えて能力を発揮させたという意味では柔軟な政策を取っていたと言えます。しかしそれは古くは孔子の時代から積極的な人材交流を行って国力を育てていた訳で、特に彼が秦王になってから際立って行った施策という訳ではありません。彼が他の国の王と違ったのは「天下統一を目指した純粋さ」じゃないか、と私は思いました。これが信長と始皇帝の持つ「最大の共通点」じゃないでしょうか。始皇帝の宮廷にも、御多分に漏れず色々な反対分子が存在しました。宗族と他氏族との勢力争いも当然他国と同じようにあったと思います。しかしそれらを乗越えて君臣一丸となって戦いに専念出来たのは、信長もそうですが、始皇帝の「天下統一へのあくなき野望」だったと私は思っています(ちょっとこの本の主題とはズレてしまいますが、私の視点です)。
人質の子として多くの苦難を味わった少年時代以来、始皇帝の心の内には「天下を取る」ことしかなかったと思うのです。じゃあ天下を取ったとして、そのあとで何かやりたい事があって、その為に天下統一が必要なんだ、ということでもなかったんじゃないか。つまり、あくまで目的は天下統一「そのもの」であり、それ以上でも以下でもなかった、と私は考えたい。
それが始皇帝の頭にある「ただ一つの望み」であり、その事以外は富も権力も名声も「何もかも興味がなかった」と思います(私の勝手な想像です)。信長もほぼ日本を平定する目前まで勝ち進んで既に幕府や朝廷も己の思うがままの状態になっていて、さて「その先は何をしようか?」ってなったんだと思います。そして、これが信長の不思議な点ですが、そうなった時点から急に「おかしく」なってしまった訳です。私は「信長認知症説」というのをちょっと考えているんですが、始皇帝も天下統一はしたものの「その先どうするかのプランが無かった」んじゃないだろうかな?、って思うんですよね(勿論、認知症などではないと思いますが)。
結局、「始皇帝の人間的魅力」と筆者が書いているものは例えば学者が昆虫を一心不乱に研究して、それが世の中の何の役に立つのか分からなくてもひたすら目的に向かって我を忘れるまでに没頭するような、そんな「普通人には理解しがたい純粋さ」を言うのでしょうか。言わば暴走族のリーダーが本人は無欲無私で「天下取るぞ!」と旗を掲げ叱咤激励して自ら突撃すれば、それを男意気に感じて遮二無二ついていく人間も出て来るわけです。現代では健全な市民から蛇蝎の如く嫌悪されている暴走族ですが、その昔は清水の次郎長のような講談にまでなって持て囃される人物もいた訳ですね。時代です。
要は甲子園で決勝に臨むチーム内を流れる「一体感・高揚感」といったら分かりやすいでしょうか。始皇帝の鉄の軍団にあるのもそれと同じ「目的を共有した集団」の強さです。始皇帝のエネルギーは(信長もそうですが)トップ取ることしか頭にない男の「純粋な闘争心」だと私は判断しました。現代ではスポーツ限定の達成感ですが、歴史時代にはこのように「とにかく頂点に立つ」ことを人生目標にする精神構造の人間が多くいたんだろうと思います(怖いですねぇ)。彼等は純粋に天下取りを目指せば目指すほど、それ以外のことに無欲になるものです。そしてそのような、一つの事にすべてを賭けて努力する生き方に共感し、同じ達成感・幸福感を味わいたいと心底考えてる人達が集まって一大勢力となり、数々のドラマが生まれたという訳です。考えて見れば秦漢隋唐に始まり宋元明清と続く中国の歴史は皆、最初は大いなる野望を賭けて争った「天下取り」ゲームだった、と言えるかも知れません。
よく「創業と守成」でどちらが難しいか?、という問いがあります。私はどちらがどうかは分かりませんが、人類にとって重要なのは間違いなく「守成」だと思っています。何故って「天下」とは、優勝チームが掲げて万歳する優勝トロフィーみたいな「ご褒美」ではなくて、生きた人間がその中で暮らしていく「社会環境そのもの」だからです。当然ですが貰ってリビングに飾っておくもんじゃなくて、確固としたプランに従って「全員が等しく謳歌するもの」でなくてはいけないと思っています。まあ、このような元々の主題と随分違ったことを考えて本を読み終えました。読書は読む人によって色々な事を考えさせてくれます。始皇帝、会ってみたいなぁ・・・



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