明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

辺見マリに見る「可愛い女」

2017-11-28 21:15:00 | 生命・健康・医療
先週、辺見マリを「おぎやはぎの愛車遍歴」で見たら、もうおばあちゃんだが「表情を見ていると、やっぱり可愛い」と思った。あれ?もしかして・・・、と思ってネットで調べたら「案の定B型」である。モロ天然の愛嬌が出ていて、B型丸出しの「可愛いいおばちゃん」だった。

さすがに座っている姿は、背が縮んで年寄りっぽく見える。背が低いのか、顔の大きさに比べて座高が低くてアンバランスというのが、何となく年寄り臭くて印象がよくない。年も私と同じ位なので気を付けないと、知らない間に背が低くなっている事があるらしい。それはそれとして、人間年を取ると誰しも醜くなるものだが、それでも「可愛い年寄り」と「醜いだけの年寄り」の差は何だろうかと考えた。

1 まず表情が生き生きとしてよく笑い、目が大きく動いて人を魅了する、これは必須である。性格が暗くてしみったれた説教しか出来ないようでは、魅力ある老人にはとてもなれない。大体年を取ると目がショボショボして小さくなるのがほとんである。その点で辺見マリは「あははは」と、軽やかに且つ上品に笑う「天性の笑顔」を持っている(まあ芸能人だから当たり前か)。

2 話が前向きで昔の話をするのでもそれにのめり込まないでいられる「感覚」が大事。よく昔の話を「後生大事に物語る」老人をよく見かけるが、「気を付けないと自分もそうなっている」可能性があるので要注意。話が年寄り臭いと、表情も心なしか一層老けて見える。「あっけらかん」とした無邪気なキャラクターが「可愛い老人」の必要条件である。

3 最後に若々しい服装である。もちろん腹回りの無駄肉などはもってのほかである。これは若々しい服装だから若く見えると思いがちだが逆で、気持ちが若いと「無意識のうちに20代30代の服を選ぶ」ようになるのである。だから気持ちが若くないと、若い服は「気後れして着れない」。では若い服とはどういう服かと言うと、自分が好きな服を着ていると、人が見て「若いねぇ」と言ってくれるような服である、としか言えない。人の目を気にせず、自分が着たいと思うことが「若い証拠」だとも言える。

と、ここまで書いて「やっぱり、辺見マリは元が綺麗だから当たり前」と、(実に平凡なことだが)今更ながらやっと理解した。うっすらと感づいてはいたが、誰が見てもそうである。年取って可愛く見える秘訣なんて「ない」のだ。若い頃から「美しい人が、さらにケアをしっかりやっているから」年取っても美しいのだ。ガチョーン!・・・

身も蓋もないようだが、哀しいことに事実である。年取ってまで子供の時からの美醜の呪縛に取り憑かれるとは、ああ、なんて現実は残酷なのか。

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