奈良の旅行の二日目です。
今日は唐招提寺と薬師寺、多くの国宝が集められている『なら仏像館』、メインに新薬師寺に行こうと考えた。
左腕の筋肉に充分信号が流れない。朝食のトレイが持ち切れず、しゃけ妻に助けてもらう。
悲しそうな顔を見せずに世話を焼いてくれてホントに助かる。
742年に日本に仏法を広めることを要請された鑑真和上は、9年間6度にわたる渡海を試み、その苦労の中で失明したにもかかわらず強い意志を保ち日本に来てくれた。聖武天皇をはじめ多くの日本の僧侶に受戒を授け、日本の仏教が独自の発展をする礎を作ったのだと理解しています。唐招提寺はその活動の中心と成りました。
しゃけは、鑑真和上が出発した中国揚州の大明寺に行った事があり、1260年も昔の事情を考えるとその偉業に感謝する気持ちになります。
金堂の本尊は盧舎那仏、脇侍は右に薬師如来、左に十一面千手観音菩薩と参拝するものが必ず救われる程のデラックスさだ。
仏教にそう詳しいわけではないが、これらの仏様に接し現実に我々が救われた気持ちの癒しを得ることそのものが、鑑真の計画ではないかと俺は感じました。
その鑑真に直接向き合ってお墓参りが出来るとは知りませんでした。心より手を合わせました。
かなり広いエリアに見事な苔が生していました。
此処に鹿はいませんが、鹿の目線で写真を撮りました。
薬師寺は現在最も白鳳時代の大伽藍の姿を伝えている御寺だと思う。
本尊は今作られたばかりの神々しさを感じる薬師如来様であり、東塔の石窟の釈迦涅槃像は小乗仏教的な全アジア的な仏教の表現方法を感じることができた。
薬師寺の金堂は、荘厳を極め灯火がなくても光り輝いたことから名前が由来している。
このような建築様式を『竜宮造り』と呼ぶそうだが、とても分かりやすい呼び名だと思った。
梅は古都奈良に最も似合う花だと思いました。
金堂内に人が集まりだした。込み合っていたが、しゃけ夫婦は何故か薬師如来様のまん前に立てた。
薬師如来様のまなざしは優しかった。2人で思わず同時に手を合わせたと思う。
薬師如来様のまん前では沢山のお坊様の真中に法主様が居られ読経をしておられた。しゃけも般若心経を心の中でとなえた。
続いて法主様から下記の言葉を賜った。
仏法は、まあるい心
仏法は、こだわらない心
仏法は、囚われない心・・・
他にもことばを頂き法主様に続いて唱和したが、上の言葉が特に心に残った。
『仏法は、まあるいこころ・・・』と大きな声でとなえて薬師如来様を見上げたら・・涙がボロボロ出てきた。
右にいたしゃけ妻も泣いていた。
しゃけは仏教徒なのだと、あらためて気がついた。
薬師寺の比較的近くの『草ノ戸』という料理屋を見つけた。
小じんまりした日本家屋で良い感じだった。
一番安い『おひるごはん』という料理名のメニューを注文した。
珍しいものはなかったが、食材は厳選されていてとても美味しく、良い時間を過ごすことが出来た。
『なら仏像館』は国宝級の仏像が非常に沢山あり、御寺から運ばれて修理も担当しているようだった。
今回最高の見ごたえのある展示は、東大寺法華堂の金剛力士像だ。阿吽の二体だが本当に素晴らしく力強く10分近く見つめてしまった。
写真を撮るわけにもいかず此処に載せるわけにはいかないが、撮りたい誘惑に駆られた。
奈良に行くなら是非寄ることをお勧めしたいですが、やはり仏像は御寺におられてこそ輝くのではないかと申し訳ないが思ってしまう。
新薬師寺は、たおやかな薬師如来有名な十二神将像で有名。
しかし着いてみてびっくりした。あまりにも境内も小さくて普通の都内の御寺と変わらない大きさだ。
この隙間だらけのお堂に本当に国宝群があるのか最初は、御寺を間違えたかと思った。
薬師如来様は脇侍のおられる三尊像の形式ではなく、周囲の全ての方向にバザラ大将を筆頭に12の神将が円陣を組んで守っている。
一体の神将が7,000の神軍を率いている。84,000人の軍勢?自衛隊の三分の一かなどと軍事マニアのしゃけはすぐ考えてしまう。
いやいや一騎当千の神軍だから84,000,000の軍勢なのだ。
しかし薬師如来様を拝ませていただいて、びっくりした。絵ハガキやガイドブックで見ていたお顔の表情と全くちがうのである。
慈愛に満ちた表情が本当に写真とは違う。(ほんとうだってば)
しゃけ妻はしゃけが病気なので特にこの新薬師寺と薬師寺を重視していた。
大仏様と薬師寺の薬師如来さまはありがたくて涙が出てくる感じだったが、ここの薬師如来は見守って下さる喜びを感じさせて下さる仏様だ。
十二神将をお率いになり、きっと病魔と闘って下さると信じた。
★いろいろ書いてるが『しゃけの携帯写真』なのだから仏像の写真の載せなきゃ伝わらないじゃないかと、お叱りを受けそうだ・・・
絵ハガキから写真を撮って載せようかと思ったが、今回は生まれて初めての信仰の旅かもしれない。五感で感じた仏様を心で感じていたい気分なのだ。
信仰も宗教も勉強不足だし、キリスト教の祈りの言葉にも多くの真実を感じている。しかし訳も分からず神頼みをしているのではない。
仏様の慈悲を感じることで自分の心を洗っていることに気づいたのだ。
しゃけ姉に会いに行った帰りに善光寺に寄ったのがこの旅のきっかけだったかも知れない。★
上の4枚はすべて新薬師寺で撮りました。
写真を見てくださってありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。
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いただいたコメントは俺の勇気に直結します。
この日ほど、まっすぐ自分の心と向き合えた
日は無いのではないかと思います。
クラッチが握れ、左腕が柔らかくなるよう
リハビリし、又、友人の輪を広げていきたいと思います。
アップのしゃけさん!なかなかいい男ですねー、惚れ直しました。
感性の鋭いすばらしい写真とウイットに富んだエッセイには、いつも拝見させていただいて感動させてもらっています。
ゆっくりリハビリ進めましょう、W6の集まりでまた会える日を、また、続々アップする写真も楽しみにしております。