《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

早稲田学報No.1267

2024年10月03日 | 日記
早稲田学報の最新刊に八一の名前を見つけた。お書きになったのは薮野健先生だ。
タイトルは『安藤更生と宮川寅雄による會津八一にまつわる回想』。

会津八一がかつて住んでいた旧高田豊川町秋艸堂付近のイラストと、それにまつわる思い出をかかれている。

文中に『紫檀棚に与謝蕪村の春風馬堤曲の巻子が置かれていた』とあるが、八一が、自ら揮毫した春風馬堤曲の巻子を愛蔵していたことを指す。

良い記事で、早稲田学報を購読していてよかったと思った。









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新資料 『摩星楼歌帖抄』への書き入れ

2024年08月27日 | 日記
早稲田大学図書館會津八一文庫の蔵書に、式場益平著『摩星楼歌帖抄』(1924年)がある。八一生前の蔵書であるこの歌集には八一による書入れがある。ややまとまった文章ながら、會津八一全集には未収である。これを当ブログの皆様に報告したい。

こは予みづから世話やきて
出版せしめたる亡友の歌
集なるを罹災後新潟の
古本屋の店にてもとめ得たり

一八頁「翠漣亭即事」
四四頁「秋艸道人に」
四六頁「為秋艸道人詠太陽歌」
   「晩夏秋艸堂夜泊暁起」
八五頁「秋草堂を憶ふ」
一〇二頁「秋草道人に寄す」
など予に思を寄せたる歌の多さに今更おどろく

   昭和二十二年二月 秋艸道人
            渾品示
                         
(式場の序文に対し)
ここに「知友の」とあるも式場がかきし原文には
「秋艸道人の」
とありしを
予が意見をして
強てかく改め
しめたるなり
天下に秋艸道人
一人のみを知己
とする如き態度にて世にそむくは
よろしからずと
誡めたるなり
         秋艸道人記す
                         
八一自ら丸印等を付した歌を掲げる。

  • 若草の野をひた走る赤駒の見よくをゝしき歌人もがも(2頁)
  • こちたくも雪か降るらしこの寒きまだきを厩に馬のいなゝく(3頁)
  • 青空ゆ風吹きおちて樹の枝の雪散りみだる湖沿ひの村
  • 雪深き峠こゆればはろばろとまなかひにいる荒海の色
  • さ庭べの木末もろむけふゝ夜を折々乳児の泣く声きこゆ(5頁)
  • 雪降る夜うらの板橋狐来て泣く児食むとふなかでねよ吾児
  • 妹か文いまたも見えずけだしくは雪をこちたみ障りあるらし(6頁)
  • 雪晴れて日影まばゆき入江町をち方宿に三味弾くきこゆ
  • 雪残る垣根の楓いち早く赤き芽ふきぬ春の光りに
  • かなりやも身こもりけらしふくよかに腹毛ほうけて菜をあさり居り
  • 田の中を流るゝ川の板橋に君と相逢ふ蛙なく夜を(10頁)
  • 春いまだ曙寒し枕べの朱盆に乗せし玻璃の水さし(11頁)
  • 若草の野路わけゆけはをとめにて在り通ひけむ君の思ほゆ(14頁)
  • さく花のきのまをもるゝ日の光りうなねいたきまてなやましきかも
  • なやましき春の真昼の日の前に芽立ちの長き松のさびしさ
  • さをとめはすこしうつむき紫の匂へるぞよきをだまきのごと(23頁)
  • 朝髪のふくだみなほす小鏡の片へにいけしをだまきの花
さびしさにさ迷ふこゝろはてもなく野をゆく如し遠蛙きく(24頁)
草原に雨ふりやみて月さしぬ待たずしもあらず山ほとゝぎす(35頁)
  • 落ち葉たゝく雨の音寒み湯あみしてひとり火桶に酒を煮てけり(90頁)
  • くさくさの秋草花を瓶にいけて遠き昔の書よみ耽る
  • 花やぎてさあらぬ人と酒をのむそのまにも猶君をこそ思へ(103頁)
  • 暖かきひなたにひとり端居して柿をたべつゝ物おもひ居り(106頁)
  • 秋の田のかり田のくろをゆく人の影さへ寒きこのあしたかも
  • 病みふして久になりにけりそのあひだたゝ秋風になびく雲見つ
  • 老杉の木のま凌ぎて立つ塔の丹ぬりもさびし秋の風ふく
  • 手にとりてつばらに見れば犬蓼のうすべに花のはしくあるかも(107頁)
  • 稲かりて日のよくあたる田の島の菊のさかりとなりにけるかも
  • 稲かけし日南つゝく大根畑畑のめぐりの豆菊の花(108頁)
  • 常盤木のしみ葉をもるゝ空の色も藍ふかぶかと秋たけにけり(109頁)
  • 暖かき秋のまひるの日を浴びてけふもたゝひとり野を歩み来ぬ(110頁)
  • 見る限り浜ぐみ生ふる砂山に沖つ風ふく秋のはれし昼(一一一頁)
  • 夕紅葉下照る坂を恋ひくればいつくにかあらむ滝の音聞こゆ
  • おほゝしく空くもりぬと紅葉山かへり見しつゝ舟漕ぎゆくも(一一二頁)
落葉ふくかそけき風に返り見て我影さびし夕日さす野路(一一六頁)
風さやく木末にくらき秋の影見つゝ旅ゆく有明月夜
  • 静かにも寂しきものか枇杷の花咲けるがうへにてれる冬の日(一三一頁)
  • めざめてはわりなく淋し窓の外の笹生にそゝぐ夜半の時雨の(一四〇頁)
  • 雨いつか雪に更けゆくみ越路の野末の庵の闇の夜を思へ
  • 天地にもの音たえてふくる夜をわれはかほにも積もる雪かな
○○さよ中に目覚めてあればさらさらと窓にふり来る雪の音かも
  • 烏羽玉のやみのふゝきの遠き野にたゝずみましてわを待たすらし(一四一頁)
  • 雪の峰そばたつ窓に香たきて古き経よむ丹ぬりふづくゑ(一四四頁)
  • 静かなる雪の野川のきしゆけば遠きところに臼ひくきこゆ(一四六頁)
  • 川沿ひの並木下道雪の上にこゝだく散れる榛の花かも
◎ 雪深き広野に立ちて見さくれば日はてりながら小雨そぼ降る(一四七頁)
  

終わりに書誌的情報を付記する。式場益平著『摩星楼歌帖抄』大正一三年八月二〇日発行、雄文堂発行(一円六十銭)、全百四十八頁。
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伊藤潤一郎氏の『「誰でもよいあなた」へ 投壜通信』について

2024年02月14日 | 日記
新潟県立大の伊藤潤一郎氏の新著に、八一の随筆が引用されていることを知り、さっそく読んでみた。伊藤氏はフランス哲学の研究者であり、なぜ八一に触れているのか、不思議だったのである。
89年生まれということは平成生まれであられるだろう。

引用されているのは、八一の『自註鹿鳴集』の序文である。

およそ文芸に携はるもの、その生前に於て江湖の認識を受くるの難きは、古来みな然り。予齢すでに古希を過ぎたりといへども、今にして之を聞くは、むしろ甚だ早しといふべし。

この一節を引いたうえで、伊藤氏は次のように述べておられる。

「・・・古希を過ぎてもなお社会的承認を得るには早すぎるとみなす八一の姿勢からは、最長でも一〇〇年ほどの人間の一生とは異なる時間が文芸には流れているという認識が垣間見える。ひらがなの分かち書きで奈良を詠った歌人にとって、みずからの筆先が悠久の歴史とつながっているのは、たしかな実感だったにちがいない。」

まさしく伊藤氏の指摘される通りであろう。ただ同時に、八一は「現代に歓迎されざるものが、永遠に伝わるわけはない」(「文化の意義」1946年)とものべ、生前の評価にもこだわる側面もあった。評価され、名声を得たいというより、文学史上における正確な理解を得たいというのが、八一生前の願いであったろう。
愛好にとどまらない、深い理解を今後とも目指していきたいと思う。









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会津八一の年末

2023年12月31日 | 日記

一年が終わろうとしている。

昭和21年の暮れ、八一は「盆梅」という歌編(5首)を編んだ。盆梅とは、鉢植えの梅を指すのだろう。

「歳暮新潟の朝市に鉢植の梅をもとめて」との詞書がある。

としゆくとののじるいちのはてにしてうめうるをじがしろきあごひげ

もとめこしひときのうめにひともせばかげさやかなるやどのしろかべ

しろかべにかげせぐくまるひとはちのうめのおいきにとしゆかむとす

おいはててえだなきうめのふたつみつつぼみてはるをまたずしもあらず

いくとせをこころのままにゆがみきてはちにおいけむあはれこのうめ



≪口語訳≫

1首目 年の暮れで騒がしい街路に並ぶ露店の終わりで、梅を売っている老人の白いあごひげよ
2首目 買ってきた一本の梅を置き、灯火を点けると、私の家の白い壁にはっきりと(梅の)影が映る
3首目 白壁に、身をかがめたような一鉢の梅の老木の影が映って、この一年も終わろうとしている
4首目 老いて枝のない梅の木ではあるが、つぼみが2、3個ある。春を待っていないわけではない。
5首目 (この梅は)何年もこころのままに歪んで、鉢の中で老いてしまったのだろう。

八一は、この年の前年の昭和20年に空襲により、家と一生かけて集めた書物を失い、新潟に帰るも、そこでは養女キイ子を結核で亡くした。物資不足で助かる命も助からなかったのだろう。多くの日本人が味わった苦難を八一も経験した。

この歌編「盆梅」には、戦後、少し余裕ができ始めた八一の生活風景が表れているように思う。

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伊勢崎文學No.42

2023年12月04日 | 日記
知人のS姉より、『伊勢崎文學No.42』が届けられた。
上州に住んでおられる市井の文学愛好者が挙って力作を掲載している。

S姉は〈悲恋 相馬黒光の息吹〉と題した随筆を載せている。その中で、會津八一を詠った一首がある。

かりそめの恋をも秘めてひとすぢの学芸に生く道人の粋

八一の人生を巧みに一首にまとめられている。長年の短歌修練の成果であろう。

S姉に敬意を表し、高著贈呈に心より御礼申し上げたい。



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