《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

八一の書論とヴェルフリンの『美術史の基礎概念』

2019年06月08日 | 日記
會津八一は書でも名高いが、書壇や流派に属さなかったためか、書家という扱いはあまりされていないようだ。文人の書、芸術家の書という扱われ方が多い。どのような捉え方をするのも自由だが、彼の書の奥にある理論を読み取ると、違った見え方がしてくるだろう。
 
八一が書を実作する上で形成していった書の理論(書論)に、瑞西の美術史家ハインリヒ・ヴェルフリン(18641945)の著作『美術史の基礎概念』が影響を与えている。これは、喜多上が「新潟日報」に掲載した記事「造形力と陶酔感と」「無個性が生む芸術」(200621日・2日)、研究誌『書論』に掲載した論考「會津八一の書と書論の形成」(『書論』35号)で、初めて指摘した問題である。ちなみにヴェルフリンの『美術史の基礎概念』を初めて我が国に紹介したのは、昭和2年の沢木四方吉の著作であるという。
 
八一の書はどのような境地を目指しているのか、またどのような特徴があるのか。それを一言でいうのはとても難しいが、私が現時点で印象として持っているのは、普遍化と国際化(近代化)ということではないかということである。同様に和歌も実作で改革を目指している。
 
伝統的に書は、臨書を重んずる。おそらく古典の書を見て、一点一画を学び、模写するように書くのが書の基本スタイルなのではないか。そのような価値観の人からすれば、八一の書は邪道な素人の書にしか見えないだろう。
 
著名な書家の石川九楊氏は八一の書に対し、批判的である。
 石川氏は、「会津八一の書の魅力と限界」という文章の中で、八一の書のファンがいるとすれば「レトロ趣味の文脈で読まれるべき」と述べておられた。また「もの足りない非現代的書」とも評しておられる。私は八一の書にモダンな印象を持っているので、石川氏の見解を支持することが出来ない。
 
話を戻して、喜多氏の論攷の一部を掲げてみよう。
 
八一は晩年「書道について」(昭和22年)という講演で、自身の書を、明朝活字のように、平面的で、空間を満遍なく満たし、水平線、垂直線、渦巻きから成り、中心点はなく、明瞭にと述べている。(中略)
ヴェルフリンは16世紀盛期ルネサンスの美術(レオナルドダヴィンチ、デューラー、ラファエロなど)を古典、17世紀の美術(ルーベンス、レンブラント、フェルメールなど)をバロックと呼び、五対の概念で表した。
不思議なことに八一の書の特徴はヴェルフリンの古典美術の概念に収まってしまう。物を塊でなく線で見(線的なもの)、奥行きがなく平面的(平面)で、形が隅々まで明らか(明瞭性)で、水平と垂直から成り(閉じられた形式)、中心点がない(多数性)と。同じことを同じ時代に、深く考えていた人が西洋にいる、という驚きと共感。ヴェルフリンによって古典主義を自覚し、自身の書の世界が日中の漢字文化圏から西洋美術の領域まで広がるのを確信しただろう。(中略)
八一は書聖として絶大な影響力を持つ王義之の書について、中心点があり(統一性)、趣味的で(絵画的なもの)、不明瞭で(不明瞭性)、陰鬱である(統一性)という。これらに、奥行きがあり(深奥)、水平垂直を避ける(開かれた形式)を加えると、王義之はヴェルフリンのバロック美術の概念に収まるのだ。(中略)
中心があると字は暗くなる。義之の書は天下の理想とする書ではない、もっと平凡な(無個性の)字でよいと八一はいう。誰もが書ける字に徹してこそ、芸術性も生まれるという逆説に、八一の書の新しい主張がある。(後略)
 
喜多氏の記事を引いてみたが、端的に言うと、八一が大正末期から昭和初期にかけて構想していた書論を、沢木四方吉のヴェルフリンの紹介記事によって整理した。結果、自己の芸術は、文化史における古典主義だと、自覚した。そしてその自覚が、後年の八一の書風の完成を用意したというのが喜多氏の主張であり、私も極めて妥当なものと考える。
 
書家や書の研究者の方々は、上記の喜多論をどのように捉えておられるのだろうか。ぜひご所見を伺いたいと思っている。
高村壽一先生所蔵の八一書「林下十年夢」
 
 
 
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