《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

メディアシップと八一

2018年11月29日 | 日記
11月21日に、秋艸道人忌に出るため、久しぶりに新潟を訪れた。当日の様子は新潟日報にも掲載されている。

新幹線で東京から新潟に向かったのだが、新幹線が新潟駅ホームに滑り込むギリギリのところで、この度新築されたメディアシップが見えてくる。そして八一の揮毫による「新潟日報」の文字も肉眼でわかる。新幹線の車窓から見えるように計算して字の大きさを設計したのであろうか。



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会津八一を偲ぶ会2018

2018年11月25日 | 日記

 

会津八一を偲ぶ会が、11/23に練馬区の法融寺で開かれた。同寺には会津八一の墓がある。

会津八一が亡くなった翌年、昭和32年から行われていた法要が、発展的にこの「會津八一を偲ぶ会」に結実したようだ。かつては門弟が集まって先師を偲ぶ法要だったのだろうが、今ではミニ学会のようなイベントである。

 

  

八一の墓

 

  

ご本尊と八一の位牌

 

  

参加者は51

 

  

岩津資雄先生を偲ぶ森朝男氏

 

会次第(敬称略)

 

・はじめに 石田肇

・開会の辞 高村壽一

・秋艸道人関連事項年間報告 横手

・會津八一記念館の報告 高岡信也(新潟市會津八一記念館事務長)

 

おはなし

 

・歌編「彩痕」の前後 植竹雄太(秋艸会会員)

昭和19年に八一が毎日新聞に掲載した和歌の「政治性」を論ずる。

 

・日本の歌の流れの中で 松村武夫(武蔵野大学名誉教授)

和歌史の中で八一が独自の文学を樹立したことを考察。

 

・中条會津八一会 丹呉庸平

戦災で家を失った八一が疎開した中条家の当主(庸平氏のご両親が八一ときい子を世話した)

 

・會津八一と岩津資雄 森朝男(フェリス女学院大名誉教授)

八一の高弟岩津資雄が語っていた八一に関する言葉を述懐。また八一の歌について考察する。

 

・八一と私 松世勝久

熱心な八一ファンによる熱い想い。八一の歌の朗詠も披露。

 

・八栗寺の梵鐘 新見靖子

八栗寺住職夫人による報告。八栗寺の鐘には八一の最後の歌が刻まれる。

 

・道人を偲んで 吉池泰夫

八一の謦咳に接した吉池氏が八一の思い出を語る。吉池進氏のご子息。

 

 

 

天気に恵まれ51名の参会者があった。来年度も続く予定なので、日時が決まり次第、当ブログでお知らせしたい。

 

写真を提供してくださったD女史、ありがとうございます。

 

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