さる11月23日、東京練馬区の法融寺で、会津八一を偲ぶ会が行われた。
会津八一が亡くなった翌年、つまり、昭和32年から行われていた法要が、幾たびかの変遷を経て、発展的に現在の「會津八一を偲ぶ会」になった。喜多上が主催していた頃は、『秋艸道人會津八一 墓参と懇話会』と称していたことも思い出す。
因みに八一は昭和31年11月21日に亡くなった。
かつては門弟が集まって先師を偲ぶ法要だったのだろうが、今では、誰もが参加できるミニ学会のようなイベントである。
会次第(敬称略)
はじめに 石田肇
開会の辞及び道人の書の解説 高村壽一
秋艸道人関連事項年間報告 横手
新潟市會津八一記念館の報告 高岡信也
お話
〇會津八一の歌碑について 高橋正幸
〇「われ」とは誰か 救世観音詠の読まれ方 植竹雄太
八一の救世観音詠について、吉野秀雄、岩津資雄、喜多上、三者の解釈を比較する。
〇秋艸道人の「蛙相撲之図」について 岩切誠
〇八一先生の道徳教育 高村壽一
小説鳩の橋を引用、熱血教師だった青年八一を語る。
〇会津書簡浄書作業のころ 倉田治夫
會津八一書簡集の編纂に関する回想。
〇風景館の歌碑など 関谷庸子
八一がかつて泊まった有名な旅館の経営者。庭には八一の歌碑がある。
〇會津八一の思い出 伊東牧龍
西川寧の弟子であった伊東氏の回想。伊東氏は生前の八一を知る数少ない長老書家。
あいにくの雨模様であったが、50名の参会者を数えることが出来たのはうれしい。
登壇されたI氏の教え子の女子大学生2名が来てくれた。若きファンを得て、泉下の八一先生も喜んでおられよう。
写真を提供されたD女史に御礼申し上げる。
八一の墓
参加者は50名。
参加者は50名。